二宮尊徳を読む~その5

その4の続き。

「キュウリを植えればキュウリとは別のものが収穫できると思うな。人は自分の植えたものを収穫するのである」
やはり、ここだろう。

人生は自作自演であり、自業自得の世界なのだ。自分で種をまいて、その結果を自分で収穫する。だからこそ、そこで自分だけのオリジナルの学びが得られる。だから人生に正しい答えは無いし、どちらに転んでもそこで自分が学び、自分なりの教訓を得ることが出来たならばそれこそが正しい道だったと胸を張って言える。これこそが人間の生まれてきた究極の目的ではないだろうか。

塾の指導者という仕事は、同時に生徒の人生を一部追体験させてもらっているような側面がある。さまざまな個性の生徒から、小学生であっても中学生であっても、その生き様から学び、では自分はどうすればよいのか、ということを常に考えさせられる。そんな立場が塾の指導者、指導者でありながら「学ぶ」側の立場に私は常にいる。