人が良くなるための、何か

私にとっては恒例の「怒涛の年末年始」であった。慌しく動いているうちに4日となり、塾が再開した。

昨年までは神社で「新春くじ」という抽選会を開催していた。特に3年前までは元日午前0時からの祭典の後に実施していたのだが、年数を経るごとに参拝よりも抽選会目当ての人々が増えるようになった。つまり、神社に来てお参りをすることもなく、抽選開始までジッと待っているのである。

強制的にお参りをする必要もないが、神社に来て抽選会に参加する以上、まずお参りをしてから参加するのが当然であるはずなのだが、そういう常識と思われる事柄が通用しない人々が増えていることも事実なので、どうにも不毛感というか本末転倒のようなものを感じていた。

仕事でも日常でも、何らかの行動において私が大切だと思うことは「それが人が良くなるためのものであるかどうか」という判断基準である。ただモノを売る、人を集める、それが惰性であったり、動物的や欲を満たすために行われるものではなく、人間としての「心」に訴えかけ、その人を前向きに、明るい方向へ導くものでなければならないと思うのだ。

例えばディズニーランドならば、数々の乗り物・アトラクションはあくまでお客さんの耳目を集める引き金に過ぎなくて、目玉はパレードにあると感じた。ミッキーマウスがあの独特な声で「世界はひとつ!」と叫びながらパフォーマンスを広げていく姿は、これがウォルト・ディズニーの伝えたかった核心なのだろうと思う。

これが正解かどうかは分からないが、少なくとも本質に近い所を見抜いていけるような目を養いたいと思う2013年の正月であった。