「教える」行為は「最小限」であるべき

人間は自助努力なしに向上しない。創意工夫をしたり、効率を上げるため作業を合理的にしたり、勉強をしていく中で培っていくノウハウは、社会に出た後の「仕事」にそのまま直結する。

勉強ならば、自分で調べ、自分で考える行為を一歩ずつ積み重ねていくことが大切だ。神尾塾においてはこのプロセスを大切にし、限界まで自力を引き出させようとする。そして、それ以上どうにもならない段階になって、すかさずフォローを入れて、必要な知識・技術を生徒に注入する。質を上げていくためには量の確保が欠かせないので、授業時間が定時を越えることは必然となる。

学校では週6日制が復活しつつあり、高校では7時間授業を行う学校もある。また、ちまたの塾では週に何日も何時間も授業を行うところもある。しかし、ただ落下傘式に与える一方の授業を行ったところで、生徒本人が当事者意識を持って自分で取り組むという姿勢を養えなければ、砂漠に水をまくようなものである。私は「教える」という行為は「最小限」であるべきだと考えている。手取り足取り、という教え方は時と場合により使い分けをしなければならない。