相手の目を見て話すこと

入退出のあいさつでは必ず相手のいる方向に身体を向けて、相手の目を見て「こんにちは」「さようなら」と言う。これは神尾塾では徹底している。

しかし、授業中に私は必ずしも生徒と目を合わせない時がある。むしろ、私は相手が集団の時は目線を相手から逸らして話をする時が多い。これについては指導者によって考えや行動が異なるだろう。

私の場合は何故かというと、過去の塾通信でも書いてきたように私自身がラジオっ子で、聞く側の立場として自分の目線は手先に集中し、耳だけは相手の話に集中する、という習慣が出来ている(それが心地よい)からかもしれない。

また、私の高校の頃を振り返ると水道橋の研数学館時代、研数物理のトップ講師・小島成志先生の授業を毎週受講していたのだが、小島先生は一人ひとりの生徒の顔をジッとのぞき込むように見つめながら授業を進めていかれる。

そこで、私は板書をノートに写したり、講義の内容を理解することよりも先生が私の顔を見ている時に【目線を合わせないといけない!】ということに気持ちが削がれてしまって、あまり授業内容が頭に入っていなかったという、苦い思い出があるのだ。

これは私の能力不足の問題でもあるのだが、今自分が指導者の立場になって、何が何でも目を見て話を聞きなさい、ということは必ずしも正しいとはいえないのではないか、と思っているのである。

大切なことは生徒が手元の勉強に集中し、頭がフル回転していることであり、話し手も同様に話す内容を充実させ、聞き手の理解を促すために頭をフル回転させて話しているか、ということが本筋である。もちろん、あまりに明後日の方向ばかり向いて話をしているのも不審であるし、一切相手の目を見ないのもどうかとは思う。それこそバランスが大切だが、ちょっと最近気になっている事柄でもあるので書いてみた。