「教わって分かる」と「自分で解ける」は別

いろいろな学習塾の折込チラシを眺めていたら、こんなものが目に入った。
『夏期講習25日間集中特訓 89,000円』

「89,000円ってどんだけだよ!?」と思わずつぶやいてしまった。何が「どんだけ」なのかは分からないが、今のご時勢に夏期講習で89,000円も払える家庭ってどれくらいあるのだろう。いや、東葛飾、船橋、県立の難関校を専門としたハイレベル塾ならば分かる。別にそういうわけでもなく、集団指導塾でごく一般的な生徒を対象に89,000円とは、やはり「どんだけだよ!?」なのである。

でも、恐らく親の立場からすれば、子供のためなら無理をしてでも支払わねば…という心理も働くのだろう。今年のチラシで、これまた中途半端な塾なのに10万円超の価格を堂々と示しているところがあった。やはり「どんだけ!?」である。

もちろん、支払った額に見合っただけの効果が得られるのならば何の文句もない。しかし、曲がりなりにも色々な塾を寄り道をしてきた私から見れば「胡散臭い(うさんくさい)」としか思えないのだ。

これらの塾は、恐らく定時で授業を切り上げるだろう。80分授業ならば、授業料はその80分そのものに対しての対価ということになる。しかし、私が思うに、何事も習得が早く、トントントンとスムーズに授業の進む生徒ならばそれで良い。ところが実際はそんなに上手くいくパターンばかりではない。

英語の長文解釈ならば、ひとつ分からない単語が出てきたら、それを自分で辞書をひいて調べて赤ペンできちんと書き込む。この一連の作業を自分で行うことで初めて自分の血となり肉となっていく。それを、上から「はい、あれはこれ、これはあれだ」と100%先生が教えてしまっていたら、生徒は「ふ~ん」と云うだけで、簡単に耳を通り過ぎて身体から抜けてしまう。

大切なことは、「教わって分かる」ことと「自分で解ける」ことは別ということだ。

神尾塾の授業で、授業時間がどんどん延びて80分定時が3時間4時間になってしまうことが多いのは、これらの「血となり肉となる」ための作業を、生徒が自身の手で地道に行うための時間を随所に確保しているからなのだ。

だから、授業のやり方というのは、もっと実質的で、かつ一人ひとりの生徒の実情に寄り添ったものでなければならないので、こういう杓子定規的な夏期講習のチラシを見ていると、私は本当に嫌気を感じてくる。「子供を食い物にする塾」と私がよく記すのには、こういった理由があるのである。