通塾の三原則

先週は数名の生徒が「節目」を迎えたが、私が大切だと考えていることはシンプルに以下の三原則でしかない。

【手を抜くな】
私は「手抜き」が大嫌いである。個人差はあるから、どこまで出来るかという到達点は個々人によって異なるだろう。その限界点を踏まえて、その生徒がどこまで頑張って粘れるか、出来る限りの取り組みを自分自身でどこまで引き出せるか。これが大事だし、これこそがその人を上へ上へと引き上げる。逆に、手を抜いて適当に済ませる位ならば、やらないほうがマシだ。中途半端にするならば塾なんて辞めてしまえ、というのである。

ただ、生身の人間だから調子の悪い時もあるだろう。それは、きちんと申し出てくれれば良い。「そうか、それならば仕方ないよね、いつも頑張っているのだから、今日はいいよ」となる。これが人間の情というもの。

『一流と二流の違いは、0.5ミリの勝負やで』
これは建築家の安藤忠雄の言葉だ。ちょっとした隙、油断でいくらでも二流、三流に転落出来る。手抜かりのない一流の仕事を常に心掛ける事が、社会に出てからも自分の身を援けるのではないかと思う。

【自分で考える】
うまくいかなくなる生徒というのは、CPU(考える装置)を他人に預けてしまっていると思う。だから、他人から指示されたら動けるけれども、自分では考えることを放棄しているから、指示が止まった瞬間何も出来なくなってしまう。

これは一種のぜいたく病(平和ボケ)のようなもので、自分で考えなくても日々の暮らしに困らないからそうなってしまうのだろうが、それでは大人になっても自分の人生(生き方、天命のようなもの)が見つけられないのではないか。私の知人に、親の言いなりになって会社を継いだものの上手くいかず、失敗する度に親から補填してもらって、しかし結局自己破産に追い込まれた人間がいる。この人が「自分で考えて」いなかったかどうかは分からないが、「自分で考える」ということは自分の人生を生きるということでもある。学生時代とはこのための準備運動期間であるはず。自分で考えて失敗しても「まだ若いんだから」で許されるのが学生時代のはず。

以前の塾通信で書いたことがあるが、いい仕事が出来る人というのは、「ちょっとした気配り」「ちょっとした工夫」が出来る人のことだと書いた。日常の中を見回して改善すべき点を見つけ、どうしたらそれがもっと上手くいくかを「ウーン」と考え、ちょっと行動してみる。自分で考える生き方というのは、こういうちょっとしたことの積み重ねの先にあるはずだ。塾の練成ゼミが終わっていないのなら、自習時間を延長して取り組む。こうしたこともどんどん自己判断で実行すれば良いのだ。

【礼儀】
三原則の三本目は「礼儀」だ。これはいつも本欄で繰り返し言っていることだ。あいさつは相手の顔を見てする、使ったものは片付け、椅子をきちんとしまう、靴の向きを逆さにする。これらは本来幼少期から家庭の中で叩き込んでおくべきことである。習慣が人間をつくる。日常からよい習慣が出来ていれば、それは無意識であっても自然に振舞えてしまうのだ。他人というものは、そういう所でその人物を評価したりしている。