守・破・離

「守(しゅ)・破(は)・離(り)」
これは武道の言葉である。まず教えを忠実に守り基礎を整え、次に自分なりの応用を加え、そこから離れて自分の境地を開拓する。結局全ての原点は「守」から始まる。

数名の生徒に見られることだが、新出事項の学習に入った時、説明後いざ問題練習の段階になると、教わった解き方を軽視していきなり途中式や記述を省略して我流で解こうとする生徒がいる。断言するがこれでは絶対に伸びないし、出来るようにならない。

特定の科目への不得意を持つ生徒は大体このパターンだ。つまり、我が強いというか、他者を受け入れる度量が狭いから、結局独り相撲で行き詰まってしまうのだ。

私の板書を一字一句神経質なくらいに認識し、それを自分の手元の答案用紙に再現している生徒は、スムーズに伸びている。この差だ。色分けも同じである。私が黄色、赤色、緑色で色分けした板書を、しっかり手元のボールペンで再現出来ている生徒は、やはりポイントをつかんでいる。吸収が早い。これとは逆に、せっかく色分けして板書したものを、同じ赤ペン一色で手元にメモしてしまえば、結局何がその中で大切なのか、優先順位が分からなくなる。

なので、プリントやノートを見れば、その生徒の頭の中の状態は手に取るように分かる。出来る生徒ほど、秩序立てたノート作りが出来ている。出来る生徒だから秩序良くなるのではなく、秩序よくする習慣がその生徒を出来るようにさせているのである。

大人も同じだ。身のまわりがゴチャゴチャしていれば、その人の内面も混乱しているのだなと思うし、身のまわりが整然としている人を見れば、その人自身の内面が整っているのだな、と思う。

今日の話は単に学習指導の話に留まらず、「生き方」の話につながっているということだ。実に恐ろしい。