考えよ

大学3年のとき、日本建築家協会のオープンデスクという、いわゆるインターンシップで飯田橋にある日建設計に2週間お世話になった。他チームがちょうど京都迎賓館(2005年完成)を設計していた時期で、巨大な模型が設計フロアに登場して、その荘厳さに「おお!すごい!」という声が見る人の口々から上がっていたのを覚えている。

私が面倒を見ていただいたチームでは日建設計・大塚商会などの新本社ビルの複数棟プロジェクトを同時に進めており、右も左も分からなかった私には「じゃあ模型でも作っていなさい」ということでスチレンボードなどの材料が与えられ、図面通りに模型を作らせてもらうことになった。

それまで建築学科では自分の作りたいデザインの模型をつくる、という課題がほとんどであり、実務に関する模型はこれが初めてであったので本当にどうしたらよいか分からなかった。現在でも私はプラスチック定規ではなく金尺や先端が急角度になっている30度カッターを好んで使っているが、当時図面通りにボードをカットしても、組み立てると必ず1~2ミリ程度の誤差が出てくる。そんなことで作り直しの連続をしていたり、表層ガラスのシースルーの建物に対して外側の柱をどのように美しく床スラブに縦貫させるか、といったことがうまくいかず、本当に往生していた。20階建てくらいの建物で模型の柱を下から上まで真っ直ぐきれいに立てるのは難しいのだ。

私の隣にはアルバイトでありベテランの模型職人のおじさんが座っていて、「君、大学生?」とか言われながら最初は談笑していたのだが、やがてその模型職人も私の手つきを見てイライラしてきたらしく、しまいには「頭を使え」と言われてしまった。

この時私は頭を使っているのに「頭を使え」と言われたことへの腹立ちとショックでしばらくその模型職人を心底恨んでしまった。しかし、あれから20年近く経った今、当時の私は本当に「頭を使っていなかった」のだろうということをしみじみ反省している。

実をいうと「頭を使う」ことの意味が、今の私の年齢でやっと、やっと分かってきたような気がするのだ。それは何故かというと、生徒を見て「頭を使っていないな」と思うからだ。本当に頭を使うとは、大変なことだ。四六時中考え続け、しかも考えた結果が成果として花開くこと。こうなって初めて「頭を使って考えた」となる。なので、結果の出ていない「頭を使う」はとても「頭を使った」とは言えない。

先週も掲載したが、O・Iさんの話はまさに頭を使って考えている行動そのものといえる。

考えることのポイントは、ただ考えるのではなくて、何らかの目的・目標をまず目の前に置いて、それを達成するためにどうすれば手間が省けるか・効果が出るか・楽しみながら実行できるか、という手段を考えることが「考える」ということだ。なので目的なしに考えるということは成立しない。

反対の言い方をすると、考えるためには必ず目的を持たなければならないということだ。目的もなしに考えることは成立しないのだから、結果も上手くいかないというのは自明の理である。