神尾塾の仕事術

授業テーブルには開始時間17:30、18:30、20:30、19:30の生徒が並んでいる。80分を越えて授業をすることが常。17:30開始のS君は3時間近く頑張ってくれている。

私はすし屋の板前みたいなもので、こっち中トロ、あっちはウニ、はいこちらお味噌汁、と次の作業の指示、およびヒント出し、または解説をしていく。絶対に一人として頭と手を止めさせないことをモットーにしているので、私自身最高度に「集中」して、時間を無駄なく合理的に、かつ効果的にそれぞれの生徒に授業メリットをもたらすように努力している。しかも、同じ学年であっても、内容は完全に個別でカスタマイズしている。その生徒に必要なことしか行わない主義

生徒を飽きさせないこと、目の前の作業に効率よく向き合えるよう、常にそのバランスを意識している。結局のところ、生徒本人が頭と手を動かさなければ学力は身につかないので、私が一方的にダラダラと長時間解説し続けるような授業はしていない。生徒の自助努力で補えきれないワンポイントを私が補足してあげる、この繰り返しと言っていいと思う。生徒の骨身にしみていく学習を目指している。

後方は中学生と高校生が入り混じって自習している。作業内容は指示しているので、ボーっとしている生徒はいない。淡々と作業している。勉強というよりは「作業」である。やがて自分なりの工夫で自習道具を持ち込んで来たりしている。ここが大切。塾は自転車の補助輪のようなもので、自分の足で歩けるように支援するのが塾だと思っている。自習スペースがその足がかりになることを願っている。

生徒がいる7時間近く、私の頭と身体は極度の集中力をもってフル回転で動き続けている。ちまたの塾でありがちな、生徒が問題を解いている間、先生がボーっとしているなんてことは神尾塾では有り得ない。そんな時間があったら私は連絡ファイルを書いているのである。

また、生徒の私語は一切なく、みな淡々と自分の作業に取り組んでいる。生徒と私の状態、まさに「鎮魂」していると言える。「鎮魂」とは慰霊の意味で使われることが多いが、実は魂が鎮まった状態、集中した状態。心が散漫になるのではなく、一点に光の玉となり生気あふれて微振動しながら鎮まっている状態、これが「鎮魂」である。座禅や、精神統一、ヨガと同じような効果が得られていると思っている。

抽象的な言い方をするが、大人になって良い仕事をする人間とは、魂の座った人間、つまり「鎮魂」の出来た人間と思う。少なくとも生徒にとって必要なのは、こういう「鎮魂」の涵養であり、学習面だけでなく、精神面での落ち着き、上質なメンタリティが育まれるのだとしたら、自賛に聞こえるかもしれないが、神尾塾という業態をより追究していきたいと確信しているのである。