伸びる子と伸びない子の違い

この秋の面談で、何度も話題にのぼったことがある。それは、伸びる子と伸びない子の違いについてだ。

神尾塾では中3の夏から強制自習という形で授業日以外の週3回、授業と同じ開始時刻に最低80分以上ということで自習を組んでいる。自習といってもただ野放しの自習ではなく、自習用の課題を与えた上で、それプラス学校のワークや宿題、塾の通常の宿題をこなしてよいというものである。

さて、伸びる子は80分定時の所を2時間3時間を越えて自主的に取り組めてしまう子。伸びない子は80分定時ならば80分きっちりで時計を見て席を立ち帰宅する子だ。昨年から始めた自習スペースだが、昨年も今年も見事にその相関が出ている。

前者はちょっとしたきっかけ、後押しをしてあげるだけで伸びやすい子と言える(もちろん本人の努力の継続が大前提だが)。余談だが、かのM塾あたりは、莫大な広告宣伝費をかけてこういう学力中位層の生徒を出来るだけ集めて、合格者数を確保している。だから1:2で90分授業のうち45分以上生徒を放っておく授業でも充分やっていけるのだ。したたかで食いっぱぐれのないビジネスモデルといえる。あくまで「ビジネス」としては。

さて、問題は後者である。草食系という言葉が定着してきたが、このところの生徒の在り方もまさに草食系が多く、根本的な意欲に欠けている生徒が多い。指示されたら動くけれども指示された以上の動きは取れない。特にそれで困ったことはないし、と実に平和で、「悔しい」「頑張らねば」という感覚に乏しい。80分きっちりで自習の席を離れる生徒はこのようなパターンが多い。ただし、それを肯定してあげるか、否定するべきかは個人差もあり非常に判断が難しい。

しかし、恐らく言えることは、かつての価値判断からすれば、彼らは世の中の「負け組」になりやすいということではないだろうか。つまり、目の前にパイがあった時に、そのパイを手に入れることが出来ずに、賢く意欲ある前者に持っていかれてしまうということだろう。しかも、持っていかれたとしても、それはそれで「しょうがないっか」とあきらめが早いのだから、後者の彼らはあまりにも幸せ過ぎる価値観なのだ。

現在、日本の国際的地位が低下し、中国やインドなどの経済新興国が世界経済のパイを奪いつつあるのは、この前者と後者の違いと同じと言えよう。

私は思うに、人間は何歳になっても自己分析をし続けなければならないと考えている。つまり、自分は何が好きで、何が苦手なのか。はたまた何が得意で何が不得手なのか。その考え続けている結果を自分の仕事やなすべき取り組みに反映させれば良いと思う。人生には節目節目の選択ポイントがあるが、その際に間違った選択をしなくなるであろう。

だから、自習を80分で立つのならば、勉強したくないのならば、それに変わる代替案のようなもの。他に打ち込める何かを必死で探して、そこに時間と全勢力をかけなよ。そうするだけの「覇気」を持ちなよ、と私は叫びたいのである。

一度生まれてきたからには、自分を最大限に生かし、自分自身が常に楽しめている人生でなければ、人間らしい生き方とは言えないと思うのである。