天草四郎

江戸時代初期、過酷な年貢の取り立て、飢饉(ききん)、キリスト教の大弾圧に対して、現在の長崎県島原、熊本県天草の領民たちが起こしたのが島原・天草の乱。その領民たちにとってのカリスマであったのが天草四郎時貞だ。

最終的に3万7000人が幕府軍によって殺害され、一揆軍が篭城していた原城は凄惨すぎて、乱後しばらく人が近寄れなかったという。天草四郎も16歳の若さで自害した。

戦中、天草四郎が幕府軍に飛ばした矢文(やぶみ:矢の先に書状をつけて相手方に飛ばす)に記されていたのが

『天地同根萬物一体、一切の衆生貴賎を選ばず』
(てんちどうこん ばんぶついったい いっさいの しゅじょうきせんを えらばず)

というものである。身分差別の激しい時代に『人間は平等である』と正々堂々と訴えたのである。

天草四郎に関する資料館でこれに接し、私は胸が締めつけられた。この乱をきっかけに江戸幕府の鎖国政策が強化されていくのだが、それから370年。現在誰もが自分の思い通りに、食べたいものを食べ、したいことをし、自由が許されている事は、この先人たちの運命のたまものでしかないと思わずにはいられないのだ。

16歳で自刀した天草四郎は自らの天命に素直に生を全うし、歴史に大きな風穴を開けた。ひるがえって、私は現在社会に対してどれだけの仕事が出来ているのだろう、生を貢献出来ているのだろうと考えざるを得なかった。

つい、生徒に感謝されよう、親に感謝されようと近い功利を思ってしまうことがある。それでは駄目だ。今相手に伝わらなくても、いつかは必ず伝わる時が来る。厳しい時は厳しく、自分に出来る限り崇高を追究しよう、そして『天から感謝される』生き方を目指そう、と。干潮の有明海に沈む夕日を見ながら強く思った。