生徒ごと、家庭ごとの温度差というものは、やはり否めない所がある。過去のケースを見ても、ご家庭によっては何とかして現状から抜け出そうと、必死感がヒシヒシと伝わってくる場合もあるし、その真逆もある。生徒においても、何か一つでも必死に取り組んでいる生徒は、その熱意がちゃんと私に伝わってくるし、逆に完全に「指示待ち」の思考停止になっている場合も瞬時に見分けがつく。
不器用でも愚直でもいいから、何か一つのことに一生懸命に取り組んでみる、そうすれば何かしらそれなりの得るものはある。これは生徒達の姿から私自身がいつも学ぶところである。また、「合わせ鏡の法則」というものがあって、自分が手を抜けば相手も手を抜く、自分が熱誠を込めれば相手も熱誠で応えてくれる、というものが自然の道理であるように思う。
例えば、通常の授業で時間延長しながら熱意こめて授業を行ったとしても、それに対する返答が「自習の定時帰宅」という機械的な動作であったりすると、その温度差に私は愕然とし、モチベーションが崩れていくのである。もちろん定時帰宅というのは一例であって、別に定時帰宅でもいいのだが、その分何でもいいからどこか一面で「必死さ」の片鱗を見せて欲しいということなのだ。
中学生だから、という言い訳をする余地は無くて、今行っている事の延長線上に将来の仕事や生活設計のようなものがそのまま繋がってくるのだと思う。