休憩は要らない

学校でも巷(ちまた)の塾でも、2時間授業であれば途中に10分程度休憩をはさむものだ。しかし、神尾塾では休憩を一切とらない。3時間を超える延長授業でも休ませない。真の休憩とは何か。それは、気分が常に新鮮な状況であるかどうかということだ。以前私は生徒の発する「気」を見ながら授業を随時組み立てていると書いたが、科目の枠にとらわれずに、生徒が常に新鮮な気分でいられるように科目をシフトしていけばよい。これが最大の気分転換=休憩になる。

気分も一新されないのに、ただボーっとした休み時間を10分設けても、何の意味もない。逆に、生徒が集中してひとつの物事に取り組んでいる時に、形式的に休憩を入れるのはモチベーションにとって障害になる。結局、その時その時の「気分」がどうなっているかということに最大限の関心を払うべきだということだ。

計算に飽きたら漢字をやってみる。飽きたら日本地図を広げて県庁所在地でも覚えてみるか。パニックを起こさせず、かつ柔軟な科目の切り替えは、職人技なのかもしれないが、とにかく、休憩は要らないのである。