これを書くか書かないか迷いに迷ったのだが、やはり書こう。
これから受験シーズンが始まる。最近の家庭に多く見られるのは、合格をしても挨拶に来ないパターンである。いや、菓子なんか要らない。最低本人だけでもよいから「○○校に合格しました」と直接報告に来るのが筋であろうと思う。これは塾だけでなく、学校においても同様である。学校の先生が合格のことを把握していたとしても、それでもあえて直接報告に訪れるべきである。
もちろん、それが不本意な合格、望んでいない学校への合格であれば、それは私も承知しているから、そっとしておいても良いと思う。そういう生徒に礼を尽くせ、とは言うつもりはない。しかし、それが目標していた学校であった場合、やはり通塾の目的をある意味達成できたのだから、それに対する礼儀は絶対に必要と思うのだ。それとも、授業料を毎月払っていたから、進路が決まるのは当たり前だから別にあいさつは不要であるという価値観であろうか。私はその価値観になじまない。
私は明治・大正生まれの祖父母と長年同居していたから、そこに息づいていた日本人の礼儀というものを子供ながらに学ぶ事が出来たと思う。「礼に始まり礼に終わる」というのはまさにその通りで、事あるごとに礼を尽くすのである。「礼」こそがお互いの信頼、モチベーションを高め、円滑な人間関係をもたらしてくれるのである。核家族化、年長者との付き合いが減ってしまった現在、そういう「礼」の世代間伝承が途絶えつつあることに私はこの日本という国の危機を感じている。
苦言を書くのは本当に心苦しいことだ。しかし、こういうことを子供に仕込んでいくことこそが教育だと考えている。私は力不足でありながらも、授業料を凌駕(りょうが)する熱意を一人ひとり、一回一回の授業にかけている。欠礼はその私のモチベーションを粉々に打ち砕くものであり、ならば授業料を値上げして商売としての塾屋に特化するか。授業も80分定時で切り上げるか。と最悪の悪循環が始まる。「心ある」学習塾を続けていくには、塾の取り組みだけでなく、生徒・家庭の緊張感のある対応も求められると、私は思う。