千葉業務の帰りがけ、JR総武線の千駄ヶ谷駅で降りてみる。
私の通っていた高校が河合塾と提携しており、高校3年間、模試を受けに千駄ヶ谷校に来ていた。
駅改札の正面が東京体育館、右手が津田塾大学、その更に右が国立能楽堂、奥に河合塾があった。
東京体育館を横目に国立競技場が見えてくると、向こうから雨が降ってきた。「向こうから」というのは、今ここは降っていない。ここは降っていないのに、目の前にゲリラ豪雨のカーテンがこちらに向かってくる。
こういう経験は人生2度目である。
国立競技場は隈研吾の設計で完成した。隈さんといえば、私が学生の頃新宿の日本設計で模型製作のアルバイトをしていた時、長崎県美術館のプロポーザルに従事させてもらった。隈研吾+日本設計の共同設計で、隈さんが設計室を訪れると緊張で身体が凍りついた。
さて、一連のオリンピック会場はバリケードで封鎖されており、一般人は一切立ち入りが出来ない。
社会情勢の問題もあるので、人が多少いる場所は避け、そのまま外苑前に向かう。途中、國學院高校の前で、なんと熊本県警のお巡りさんが車列の誘導をしていた。全国の警察官がオリンピックのため東京に集まっていたのだ。
外苑前の交差点で信号待ちをしていると今度は、いかついデザインの長崎県営バスが右折してきた。熊本ではよく目にするが、東京のど真ん中で長崎県営バスを目撃することは一生に一回無いだろう。海外からの選手団の輸送のため、全国のバス事業者も東京に集結して大会の成功を陰から支えたということだ。
そんなこんなで新橋から浜松町に抜けて、帰阪。