勉強の真髄

現在、神社の勉強会では曹洞宗の禅の話を読んでいる。絶版になった本であることと、内容が面白いのでPDFを貼っておく。
https://kotoku-jinja.jp/img/210704.pdf
https://kotoku-jinja.jp/img/210714.pdf

こういった資料を読み進めていると、分からない言葉が次々に出てくる。

「放下着」という単語が210704のPDFに出てくるだろう。「放・下着」だと思って、パンツでも脱ぐのかと勉強会でそれを口にしてしまうと、自分の不勉強が露呈してしまう。

ということで事前に「放下着」を調べると、「放下・着」であることが分かる。「放下(ほうげ)着(じゃく)」つまり「執着を手放せ」「とらわれるな」という意味なのだ。

このように、勉強会で自分が口にする言葉に対して、万が一「それって何?」とツッコミが入った時に万事答えられる自分でいる、という隙をなくす行為が「準備」である。

反対に、「それって何?」と突っ込まれた時に返答できない自分がいたとしたら、詰めが甘い、隙アリとなる。従って「準備」とは、ひたすら「重箱の隅を詰めていく」「隙をなくす」ことである。

私が毎回の勉強会で事前にしていることは、

◎読めない漢字を読めるようにする
◎知らない言葉の意味を調べて分かるようにする
◎分からないことは調べて分かるようにする
◎覚えていないことを覚えるようにする

これに尽きる。
つまり、それって「勉強」そのものではないか。これらを誰に命令された訳でもなく自分で勝手に実行しているだけだから「勉強」しているという強圧的な自覚がないが、結局のところ「勉強」の真髄を実践しているのである。

社会人になっても、「知らないことを知る」「分からないことを分かる」「覚えていないことを覚える」。人生は死ぬまでこの繰り返しである。このシンプルな真理に早めに気づけば気づくほど、人生は好転しやすくなるだろう。

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