偏差値〇鹿になるな(〇=馬)

お下品なタイトルになってしまった。

土曜日、午前中の面談のあとに小学生の教材を購入すべく、天満橋の京阪シティモールまで歩いた。ジメジメと蒸し暑い梅雨、汗でシャツが背中に引っ付く。モールではどのフロアも客足が戻りつつあり、むしろ賑わっているフロアもある。

エスカレーターで7階に着くと…「あれ?」ジュンク堂も含めた7階が全てシャッターで閉ざされている。6月20日まで土日は営業自粛というのだ。

他のフロアの方がよほどガヤガヤしている。書店が騒がしくなることなんて、まず無いだろう。呆れを感じながら、谷町線で梅田セントラルビル地下の「清風堂書店」に向かう。

「理屈の上ではそうかもしれないが、実際それは現実的ではないだろう」という場面を昨年から感じることが増えた。頑張って尽力されている方々もおられるが、一方で「いわゆるテストの偏差値が高いだけの(記憶力が高いだけの)、ヒトの心の機微と実務に関する感性の欠如した人が考えた机上の空論」に民衆が振り回されていることも事実であるように私には思えるのだ。勿論、これには人それぞれの意見もあるだろうが。

今年も学校説明会シーズンが始まった。緊急事態宣言中ということで本校開催をZoomやYouTubeでのオンライン開催に切り替える学校も多いが、画面上でもまた例によって国公立大学合格〇〇人、関関同立〇〇人、と大学合格実績が昨年比で〇〇%増加だの、そんな話題ばかりである。

確かに、大学合格実績をメインに掲げていかないと現代の保護者に評価されない、その高校に受験してもらえないという高校側の事情もある。しかし結局、これは「仏作って魂入れず」「偏差値が高いだけで志・感性・実務能力の低い〇鹿(偏差値〇鹿)」を増殖させる元凶にもなっており、

まあ、この話題は断片的に何かを糾弾すれば済む話ではないのだろうけれども、何かこのモヤモヤする感じが私の中でつきまとうのである。

関連するかな?

GIGAスクールの次は「データ駆動型教育」に向かうらしい。

いずれにしても、
魂を論じず「仏作って魂入れず」の上っ面の状況だけが延々と進む。