動く時間を見る力

恐らく、世の中の「プロ」と呼ばれる人々は、「動く時間」を見る力を身につけているはずである。

私の場合でいえば、仮に当塾で延長の生徒も含めて全く異なる学年・内容の4名を同時に動かす場合、Aの生徒が計算問題を解いている間に、Bの生徒の丸つけをして、Cの生徒に調べものを指示して、Dの生徒に前々回の再テストを課す。

という風に、やはり「動く時間」を見て、5分後こうなっている、10分後にこうなっている、という<時間軸でモノを考える習慣>が身についている。

だからこそ自分自身の体調管理が大切であるし、仮に私自身に眠気が襲ってきたらもう仕事にならない。自分が集中して、生徒と対峙するその時間に合わせて一日のピークを持って来るべく睡眠時間や栄養の補給のタイミングを考えているといって過言でない。

「動く時間」を見るということは、今から動く先の時間だけでなく、そのために過去の時間、つまり過去における「段取り」が極めて大切ということだ。

先のシェフでいえば、スープを提供する際、客の好みに合わせて様々な種類のスープを仕込んでいる。仕込むということは営業時間外の仕事である。客がいない時間帯にスープを仕込み、耐熱のフィルムでラッピングして、いざ客からオーダーが入ればそのフィルムを鉄板に載せて煮立たせる。

それも客の前では合理的な数秒の動きでしかない。でも、客の前の数秒のためにシェフは何時間もかけてスープを煮込み、新味の研究にいそしんでいる。だから、そういうシェフに「お休みの日や時間帯は何をしているんですか?」なんて質問は野暮で、実際にはただただ地道に仕込みをしているのだ。

地道な仕込みの上に、短時間で鮮やかな鉄板焼が披露でき、その仕込みという木の根っこがあるからこそ、仕込みを使って、木が枝葉の伸びを調整できるように、人間もその先の時間を自由に操ることが出来るようになるのだ。

つまり、先の「時間を読む」ということは、時計の針が一定の間隔で進むその時間、カチカチと決まった時間が自分にノルマを課してくるものではなく、自分がその時間を伸縮させながら自在に操ることが出来るということだ。客は、実は自分のペースで店での時間を過ごしているだけでなく、シェフが伸縮していく時間軸の中に落とし込まれる存在でもあるのだ。

プロの仕事とは、仕事を楽しむとは、そういうことだろう。