徒然なるままに

「この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行く末久しくあらます事ども、心にはかけながら、世をのどかにおもひて、うち怠りつつ、まづ、さしあたりたる、目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。つひに、物の上手にもならず、おもひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪のごとくに衰へ行く。されば、一生の中、むねとあらまほしからんことの中に、いづれか勝ると、よくおもひ比べて、第一の事を案じ定めて、その他はおもひすてて、一事を励むべし。」

・・・兼好法師の『徒然草』より。教育開発出版の夏期テキスト中3Bに収録されていた問題に目がとまってしまった。こういう話にしみじみとした共感が持てるのも、私がそういう年齢になったからかもしれない。

「若い頃はあれもしたい、これもしようと野望も欲望も広がり、自分の持てる時間は無限であるかのように錯覚してしまうのだが、何かをしようと思っていてもいつかは出来るだろうとのんびりしてしまったり、目の前の出来事に追われているうちに、本来の自分のなすべきことをせずに月日が経って、気づいたときには老いてしまう。そうなってしまえば時間は取り返すこともできず、急坂を転げ落ちるように身体も日に日に弱っていく。だから『これが自分の注力すべきことだ』と自分のなかで思うところがあれば、それを第一とターゲットを定めて、そのことに専念すべきである。」

大体の現代語訳はこんな感じだろうか。
AIだのテクノロジーがどれだけ進化しても、人間の本質は過去も未来もいつの時代でも、永遠に変わらないはずである。