<人情>で読ませる古文

平成31年度(2019)大阪府立高校「国語」一般入試C問題の大問2より。

(抜粋ここから)

ある修行者に、路次にて鷹野(たかの)の大名、「お僧いづくへ」と仰せられた。
「愚僧も存ぜぬ」「一段好いた返答ぢや。斎(とき)を申さう。あの森のうちにて、そんぢやうその家へ行きてお参れ」との給(たま)ふた。
「愚僧ばかり参りては、いかが候(さうら)はん」と申されたれば、裏差(うらざし)をぬいて、しるしに御やり候(さうらふ)。
これをもちて行き、思ひのまま斎を食うて、一首書きていでられた。

こにき
かるおもひ
びの身
さけある身
のみてぞゆ

さて、殿屋形へ御帰(おかへ)りありて、様子御たづねあれば、この短冊(たんじやく)を御目にかけ申した。能々(よくよく)思案して御覧ずれば、「小がたなたしかにおく」といふ、義理こもれり。歌の品に、沓冠(くつかぶり)の風情(ふぜい)といふは、これなるべし。

(抜粋ここまで)

古文の問題。
私なりの意訳をしてみよう。

—(意訳ここから)

ある修行僧に、鷹狩りに出かける途中の大名が道端で「お坊さん、どこへ行くのかい?」と尋ねた。

「(修行僧は流浪、風まかせの身であるから)自分でも分かりませぬ」と答えた。すると大名は「いい返答だね。食事をご馳走してあげよう。あの森の中にある家に行きなさい」と大名はおっしゃった。

修行僧は「自分一人だけ行っても相手にしてもらえないですよ」と大名に答えたら、大名は自分の身に着けていた小刀を抜いて「これが大名である自分の証拠だ」と修行僧に渡した。修行僧はその小刀を持って森の中の家に行き、小刀を見せて、思う存分食べ物をご馳走してもらった。そして歌を詠んだ。

ここに来て
こんな有難い思いをするとは…
自分は旅する身だけれども
情けをかけてくれる人がいて
その人を頼りにして行く…

さて、大名は屋敷に戻って修行僧の様子を家来に尋ねると、家来は修行僧が書いた歌の短冊を大名に見せた。大名がそれをじっくり読んでみると「この小刀を確かに返します(こかたなた しかにをく)」という義理を忘れない気持ちが歌にこもっていた。

和歌には「沓冠(くつかぶり)」という、句の始めと終わりを一字ずつ詠み込む技法があるが、まさにこういうことである。

—(意訳ここまで)

なぜこの話題を今日の塾通信でチョイスしたか、だが
大名が食事を提供する義理と、修行僧が小刀で受けた義理を返すという、二つの義理。つまり義理において両者が対等であるという義理人情の拮抗(きっこう)の話を高校入試の問題に持ってくるのは、この感覚は関東には無いのではないか、と率直に思ったからだ。

この問題を解いた直後に私がふと感じたことは「大阪らしい問題だなあ」ということ。恐らく、全国の入試問題を精査していけばそんなことはないのだろうが、『曽根崎心中』の人情噺のような、歳を重ねて胸に迫るものを感じる話というのは、関東ではここまで多く扱われない気がする。

関東は古文を読む「技法」で読ませ、関西は「人情」で読ませるような、あくまで私の思い過ごしかもしれないが、今はそんな印象を受けている。