返事は処世術

この話は何かと思い出すのだが。

祖父が言っていたのは「ごちそうさまでした、も言えないような奴とは付き合うな」もそうだが、更に「自分にとって楽な人間とばかり付き合うな(自分にとって敵わないと思える相手と付き合え)」という意味も含まれていたと思う。

まさにこれ。

それはさておき、
当塾では入塾当初にとにかく「返事をしなさい」と生徒に注意することが多い。「何かを言われたら必ず返事をしなさい」と。返事は相手の話を聞いているかどうか、というリスニングの問題でもあるし、返事の足りない人間はシンプルに印象が悪い。それまで接してきた先生や大人によっては「返事は時々でよい」と言われたこともあるかもしれないが、例えば自分がお店に行って、相手が返事の足りない店員だったらどう思うか。自分が話しているのに「うん」だったり、頷くこともなく黙っているだけとか、やはり心証が悪いだろう。

人間は能力で評価されることもあるが、努力しても能力が追い付かないことも当然どうしてもある。そういう時に何が自分の身を救うかといえば、それは唯一<心証>。相手にどういう印象を持たれるか、を意識する<処世術>こそがこの世で生きていく知恵なのだと思う。

現代の教育はそういう基本的な処世術の部分に手を入れないで、上っ面の学習単元をたくさん並べてなぞっていくだけのつまらない教育に矮小化しがちである。「返事」はまさに習慣の産物。そんなことも含めて当塾の生徒には勉強も上手になってもらいたいが、大前提の基盤として「感じのよい人」に育ち、魑魅魍魎の集うこの世を勝ち抜いてもらいたい。