近頃の学校説明会では「考える力を養うこと」に関する話題を聞くことが多い。逆説的になるが、先生が「考える力を養成する」環境を整えるほど、生徒の考える力は弱まっていく気がする。なぜならば、面倒見が良ければ生徒が伸びる訳ではなく、指導の手間を掛ければ生徒が伸びるわけではないからだ。
先生が手間を掛けても、生徒が思考停止していれば意味がないし、先生が至れり尽くせりで手間を掛ければ掛けるほど生徒は弱体化する。
「苦労は自力の母」であるので、時には苦労をしないと目が開かない。苦労をして性格がゆがんでしまうのも問題だが、少なくとも開いた口に餌(正解)を放り込むだけの過保護は更に良くない。
苦労をした人は、その次の世代に苦労をさせたくないと思うので、何事も自分で片付けて道を綺麗に整えてしまい、かえって次の世代が考える力を失ってしまったりする。これは人間の大変悲劇的な部分であるが、国レベルでも同じで、生活基盤が安定した日本よりも、食うか食われるかの危機に追われている新興国の学生の方がガッツが強かったりする。
人間は生きることの目標を「成長」に置くべきだと私は考えている。人生の選択肢に迷ったとき、「自分が成長できる選択肢はどちらか」と、「成長」を軸に判断すれば、自ずと進むべき道が見えてくることもある。
「成長」しようと思えば、自ずと「考える」ことをせざるを得なくなる。