理にかなった〈いつも通り〉に

ラジオNIKKEIの「小山昇の実践経営塾」を聴いていたら『学習塾経営者だが、AIの授業システムを導入すべきか設備投資を迷っている』という相談が読まれた。小山さんがすかさず『オンラインの集中は90分が限界でしょう。導入は見送るべし』と回答していた。

現在の状況では、学校によってオンラインの運用の差が大きく、大半の学校は6月から7月にかけて登校が再開されてから対面授業で急いでカリキュラムを進めると見られる。

オンライン授業はこれから試行錯誤を経て成熟していくだろうが、一方で従来型の集団授業がこれまで通りで良いとも私には思えない。また冬になって再び緊急事態宣言だの休校だのとなった時に、混乱を繰り返すのだろうか。

※記事「個に応じたレベル、ペース、学び方をしっかり保障し、学びを個別化すれば子どもたちは短い時間で、ぐっと学びを深めていくことができる」

塾通信の過去記事に『早朝の部、午前の部、昼の部、午後の部、夕方の部と1日をシフトに分けて生徒を分散登校させ、先生は既存の紙教材を使用したチェック機能と、その生徒に応じた映像教材の配分(あなたはこの動画を見ておきなさい、とコンシェルジュ的役割)を元にした対面指導、ということだけに注力できないものか、と思う』と書いたが、再開のタイミングを手探りするのではなく、緊急時に継続的に(半長期的に)教科指導を提供できる仕組みに切り替えられないものか、と思う。

当塾は今回、休業要請に関して床面積が100平米未満であったこともあり、3密を避ける形で運営を続けた。生徒もほぼ全員が通常通りの通塾となった。もともと3密が起こり得ない塾なので、正直言って「いつも通り」だった、という言い方が正しいだろう。
(※「いつも通り」とは出来る限りの感染症対策を踏まえた上での当塾における「いつも通り」であって、私自身の不要不急の外出、遠方への出張は自粛を余儀なくされたことは言うまでもない)

一つの考え方として、当塾のような寺子屋型の小さな拠点を街の中に細かく分布させて地域の子供たちを受け入れれば、また学校そのものがシフト分けで細分化されれば、それだけでも最低限教育の停滞に歯止めをかけることに役立つ。

一人の生徒に本当に教えるべき、自ら解けるようにさせるべきことはそんなにアレもコレもと多くはないはずだ。

オンライン授業が普及したとしても、結局右の耳から左の耳へ抜けていくような膨大な量を垂れ流しにするような授業では、従来の対面授業と何ら変わりがない。つまり本質的には進化をしていないことになる。

あなたに必要なことはこれ、この課題を乗り越えることがあなたのテーマだ、と生徒一人ひとりの本質を見抜く努力をすることが教師の役割であることはいつの時代も変わらない。

また、人間は肉体と精神の2つの要素で成り立っており、「体力は気力の母」で体力がなければ気力も集中力もわいてこない。だから、塾に来るだけでも、多少の息抜きと運動、緊張感の維持にもつながる。

変革の時代であるので、これから予期せぬ色々なことが起きるだろうが、「淡々といつも通りを続けることが最も理に適っていた」となるように、物事の本質を見失わないようにいたいと思う。