21年前、九州の西日本新聞で連載された中村哲医師の連載。
<第18回 強盗物語>
「情報の洪水で大事なことと大事でないことが分からなくなり、地についた人の関係が希薄になったのではないかと想像している」
・・・21年前の話ではない。今が、まさに。
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<第39回 識字率の神話>
「いったい娯楽というものがあるのかと怪しんでいたが、人は楽しみをどこでも工夫する。玩具がなくても、子供が遊びを見つけるのと同じだ」
・・・キットやゲーム機に依存するマインドが豊かと言えるだろうか?
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<第38回 教育という迷信>
「もういい加減にしてほしいと思っている。字の書けない難民の子供に鉛筆が配られる。やがて家畜小屋になる白亜の校舎が惜しみなく建設される。土建屋と政治屋は喜ぶだろうが、どうも教育援助の結末は、うさん臭いのだ」
・・・以下は私の空目。
「もういい加減にしてほしいと思っている。紙と鉛筆しか持たない子供にタブレットとWi-Fiが配られる。やがて家畜小屋になる白亜の校舎が惜しみなく建設される。情報屋と政治屋は喜ぶだろうが、どうも教育援助の結末は、うさん臭いのだ」
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<第49回 不老不死の国>
「死という時間の制限を意識してこそ、人は幸せと生きがいを持つことができることを悟る」
・・・私自身、親が死んで尻に火がついたことは否めない。残り時間が見えてきた。自分も必ず死ぬ、と。
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<第31回 やさしさ>
「目先のやさしさで満足させ、自然とのふれあいが減って、感性が退化した」