鮮やかな解説で成績は上がらない

当塾では10年前に比べて板書(先生が黒板に解説を書くこと)の量は10分の1以下に減った。

◎板書が増えると成績が下がる
◎板書が減ると成績が上がる

これ、どういうことかと言うと、
「先生」という職業は、生徒の前で黒板を使って鮮やかな(見事な・立派な)解説をしたい習性がある。先生が一人でしゃべって一人で自己完結する授業。

しかし、社会の価値観のなかに封建的な考え方が減りつつあるので、「先生の授業を(当事者として一所懸命に)聞く」という大前提が生徒のなかに存在しなくなりつつある。

これが昨今の「アクティブ・ラーニング」の登場の原点であるが、先生が一人でしゃべって一人で自己満足している授業ではまず生徒の成績は上がらず、結果的にそういった授業形式の学校・塾は淘汰されつつある。

で、私自身も完成された解法・解答を板書していくのは気分は良いのだが、自分の労力の割には生徒の手先と頭脳の中には染みていかないことが分かってきた。生徒自身が手先と頭脳を動かし続けること以外に成績を上げる方法はないからだ。

そこで、この10年間徐々に変わってきたのは、【先生は生徒に答えを教えるのではなく】【生徒に自力で答えを見出すためのヒントを出し続ける】役割であるということだ。

そうなると、一見完成度の高いように見える「鮮やかな解説」というものが、時としてそれが必要な時は行うけれども、解説する方も必要性に応じて解説をしないと、先生のただの自己満足で終わってしまう。

仕事が出来、何でも自分で解決してしまう上司の下では部下が育たないのと同じだ。