ラジオっ子

私は根っからのラジオっ子である。
東京の深川に住んでいた頃、自宅ではずっとNHKのラジオが流れていた。昼になれば「昼のいこい」のテーマ曲が聞こえてくるのだ。週末に車で鎌ヶ谷へ向かう間、親の車の中では文化放送で「伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド」がずっと流れていた。日常の不満を投稿する「ドカン」のコーナーなど、私よりも上の世代だったら「懐かしい」と思う方もいるかもしれない。

中学生になると自分からラジオを聴くようになり、テレビ音声も聞けるラジオだったからTBSの「筑紫哲也ニュース23」を24:30の第2部まで聞いて、その後TFM(TOKYO
FM)の「ジェットストリーム」、1時からTFMの深夜番組、3時に「歌うヘッドライト」なるド演歌番組まで聴いていた。土日はNHKで「ラジオ深夜便」と、今考えても年寄り臭い。私が同年代の人間よりも昔の曲を知っていたりするのはここに由来があるだろう。ひどい時にはイヤホンをつけっぱなしでトイレ、睡眠と、電脳人間のような姿態になっていた。おかげで中間・期末テストの2週間前には私の所有するあらゆるラジオ機器を親に没収された。

高校生になると学校以外はずっとTFMを聴いている期間、文化放送をずっと聴いている期間と、番組表を全部暗誦できるような状況だった。半蔵門のTFM本社や渋谷のカタクリコスタジオ(かつてあった)を訪れるのが楽しみの一つだった。大学に入ると建築学科だったのでデザイン作業をしながらJ-WAVEを聴きっぱなしの生活。渋谷HMVスタジオへピストン西沢だの秀島史香をよく見に行った。大学の卒業設計(毎日学生デザイン賞で入選をもらった)に放送局を組み込んだのも、そういうラジオ好きが高じて、であったと思う。

そんなこんなで何かをしながらラジオを聴く、という習慣は今に続いている。「聞けば、見えてくる」はTBSラジオのキャッチコピーだが、ラジオは何かをしつつも同時に耳から新しい情報や自分と異なる世代の人の話を聞いたり、ブレーンストーミング(脳の訓練)にもってこいである。一時ラジオそのものが低迷した時期もあったが、今はむしろスマホのおかげでストリーミングやタイムシフトで番組が聴けるようになったので古くて新しいメディアとしての可能性も広がりつつある。

現在の私はといえば、東京よりも地方のローカル番組をradikoで聴くことが多い。首都圏に住んでいると、つい東京目線が日本の標準だと思ってしまうが、一歩視点を地方に移すと、決してそうではないことに気づかされる。日本は千葉で感じる以上に多様で多文化・多風習である。

今年82歳になる毒蝮三太夫の生中継番組が、4月より平日毎日の放送から金曜日の週1回に短縮されることが決まった。マムシさんのラジオも私はradikoのタイムフリーで漏らさず聞き逃したことがない。20年前くらいには公開生放送の現場にもたびたび足を運んでいた。永六輔も亡くなってしまったが、上の世代の人の話を聴くことは、私にとっては大切な日常のひとつである。もう一つ、大阪MBSの浜村淳の朝番組もよく聴いている。浜村さんも今年83歳。それでも衰えない話術のたくみな所は、喋りが商売道具の一つである学習塾の人間にとって、大切な教科書である。