基礎を徹底する

昨年(平成28年・2016)5月28日の陰山英男先生のツイッター(‏@Kageyama_hideo)より。

新任時代、中学入試をする子の答案を採点していると、高度な問題は完璧なのに、基本問題にミスがあることの意味が分からなかった。それが私の学力問題への原点。結局、土台が未熟なのに表面的にテストの点だけは上げることができることが理由だった。

例えば、全国学テが高得点でも、漢字や計算の基礎に絞ってテストすると、ボロボロだということも多い。でも、保護者の反応を見ていると、漢字や計算より、難しいテスト問題を子どもが解いていると安心している。このギャップに子どもはやがて落ち込んでいく。

では、この計算や漢字などの基礎力の不足は何を生むか。それは中学高校での急速な伸び悩みや成績低下。なぜなら基礎力不足では、問題量の増加と真の高度化について行けなくなるから。厄介なのは過去の成功体験があるだけに、その原因に気がつかないこと。

一番心配なのは、難しい問題をスイスイ解いていくことに親が憧れ、基礎力をつける段階をそこそこにして、早く難問に挑戦させたがること。あるお母さんが、難しい問題をやらせてもらってないので損だって言ってた場面に遭遇したときは冷や汗が出た。説明しても聞き入れてくれないだろうなと思った。

基礎力がない場合はどうしようもない。

例えば中学生の英作文で「I will speaking…」という文章を見かける。いやいや、「will(助動詞) + 動詞の原形」でしょう、と。このようにどの教科でも基本の鉄則が存在する。「オームの法則は?」「V(電圧)=I(電流)×R(抵抗)です」と。

このように極めて基本的な道具を自分の中に収めていって、それをドラえもんの四次元ポケットのように「次はこれ」「今度はあれ」と必要に応じて引き出しながら、それらを組み合わせて基本的な解答の骨格を作っていくこと、それが定石のはずだ。

県立高校の入試を直前に控えて、その辺りの基礎力の有無が生徒間の学力差に如実に表れていることを痛感する。「ローマは一日にしてならず」で基礎力も半年、一年で積みあがるものではなく、例えば塾ならば中2から開始している生徒のように、土台を一段ずつ丁寧に積み上げていった生徒の方が結果的に断然強い。

たまに、基礎力が不足しているのにセンスで乗り切ってしまって、定期テスト等で問題点が見えてくることもなく、表面的にはうまく進んでいるように見える生徒もいる。しかし、そういった場合でも受験期が近づいてくれば実力テストや模試において、その辺の穴がボロボロと可視化されてきて、気づいた時には手遅れの状態になっていることも少なくない。

巷ではどこの学校でもアクティブ・ラーニングがどうとか、小学校の英語がどうとか、そうった表向きに格好のよい話が並ぶ昨今だが、果たしてその真相にある生徒たちの基礎力の養成はいかに?という所で、決して世の中そんなに上手くいってはいないだろうと疑念を持たざるを得ないのだ。

少なくとも神尾塾では基礎力の涵養を徹底している。