浪速中・高(大阪市住吉区・共学)

南海高野線の我孫子前駅から南東に徒歩6分。JR阪和線の杉本町駅から北西に徒歩9分、大阪メトロ御堂筋線あびこ駅から徒歩14分で本校に到着。浪速=なにわ。評論家の塩田丸男、作家の藤本義一、タレントの林家ぺー、笑福亭鶴瓶は本校の出身である。

大阪国学院が大正12年に設立した学校ということで、私個人としては大変テンション高めで本校への歩を進めていた。

そもそもの話を書くと、
日本で神社神職を養成する四年制大学は東京渋谷の國學院大學と伊勢の皇学館大学のみ。そこに、仙台の塩釜神社のように全国で数か所「修行」のような形で神職を養成する機関がある。その機関の中で特に大手といえるのが御堂筋線・本町駅近くの坐摩神社(いかすりじんじゃ・全国の「渡辺」姓発祥の地)内にある財団法人大阪国学院である。

明治初期に創設された皇典講究所の本家の血を引いているのが國學院大學(日本大学も同根)で、皇典講究所の分家の形で大阪で跡を継いでいるのが大阪国学院である。こちらの方では現在通信制で全国の神職志望者が学び、年に数回大阪でスクーリングを受ける、という形式。

という、その前提を読んでもらった上でこの話を進めよう。

この日私は大阪市立大学の最寄駅でありながらローカル感満載のJR杉本町駅を降り、トボトボと本校に向かって歩く。東側のグラウンドを回って北側の正門へ。入ってすぐ左手に2016年に改築された真新しい学院神社と祖霊殿・鳥居が輝いて建っている。一礼して校舎へ。

スポーツマンタイプの男性が多い先生方に誘導していただき、2階で説明会が始まる。生徒全員が一人一台ずつGoogleのChrome Bookを持ち、教室の電子黒板で授業活用している。オンライン英会話教室、eポートフォリオの取り組みも進め、「徹底して」生徒の面倒を見る、を合言葉に行事や部活動の充実を心掛けている。神社神道の学校ということで神楽部、ボーイスカウト部、茶道部、華道部、津軽三味線部といった特徴的な部活動も活発だ。

説明会の途中で校内見学が織り込まれ、出席者が三々五々、中学生の教室エリアに散らばっていく。

問題はここからだ。
テニス部で全国優勝、空手道部、弓道部、ボクシング部で全国レベルの実績を残しているスポーツ校であることも素晴らしいとは思う。吹奏楽部も関西エリアの強豪校に名を連ねている。

しかし、それぞれの教室で机に突っ伏して寝ている生徒、背中を丸めて机に顎がつかんばかりの姿勢であくびをしている生徒、肘をついて体を黒板と90度真横に向けている女子生徒。もちろん廊下で見学者が動くたびに教室の3分の1くらいの生徒がジロジロと横を見る。落ち着きがなく授業に対し退屈そうだ。

私語はない。先生も一所懸命に黒板に字を書いている。机間巡回もしている。しかし、なぜ寝ている生徒を各先生は起こさないのか?なぜ机に突っ伏している生徒の姿勢を正さないのか?廊下で塾関係者を案内している先生方もそれに気づいていないのか?気づいていても黙認しているのか?

1階・2階にまとめられた中学全学年の教室を回って私は愕然とした(腹が立った)。どこが「神社神道の学校」か?本当に大阪国学院が設立した学校なのか???

もうこうなると、私にとっては授業内容なんかどうでもよい。まずは姿勢を正させることが教育の第一歩だろう。先ほどの「徹底して面倒をみる」のは徹底して生徒をお客様扱いして楽しませているだけなのではないか?それで生徒が集まっているのではないか?と疑問ばかり浮かんできた。

本校に限らず学校見学の唯一のポイント、それは現役生徒の「学ぶ姿勢」そのものである。姿勢とは軍隊式に定規を当てたように垂直に座れというものではない。あくまで授業に気持ちが向き、先生にリスペクトが生まれていれば、姿勢、目線、モチベーションが形として整っていき、それが時間を重ねて習慣化され、その生徒の一生の財産になっていくのだ。

今日一日で本校を見て全て分かったかのように断罪してしまうのも私は正しくないのかもしれない。しかし一事が万事である。修学旅行が知覧の特攻隊や屋久島を見に行く特殊なものであろうとも、現在の本校に塾生を託そうという想いは沸いてこない。まして「神社神道」を標ぼうする学校である。そういう特殊なルーツでないのなら仕方がないのかもしれない。しかし、「神社神道」ならば「姿勢」は神道祭式の根幹中の根幹であろう。

(※ありのままの様子を見せて下さった本学院には心から感謝いたします)

この記事を書いた人