大学4年の時、建築学科の卒業設計で1月から2月にかけて製図室にこもって作品づくりを続ける日が続いた。
「何時間起きてる?」と、睡眠を摂らないで連続して起きている時間は何時間なのか、ということを研究室の4年生で自然に競っている、という奇妙な精神状態に包まれながら、セレクションと呼ばれる研究室内での選抜を通過するためにボロ雑巾のようになりながら図面と模型の製作を続けていく。
研究室に所属する3年生、2年生、意欲のある1年生と、サポートスタッフが4年生に割り当てられるのだが、セレクションに落ちた4年生からはサポートスタッフが削減されていき、セレクションを通過した4年生にスタッフが増員されていく。場合によっては終わりの見えない作業に延々一人で向き合っている4年生もいた。そんなあからさまに屈辱的な状況に耐えるメンタルも建築学科では求められる。
そんなある日、同級生のA君が製図室から消えた。当時普及し始めた携帯電話(3cm×2cmの画面が白黒からカラーに変わり始めた頃!)で連絡をとるが、音信不通でまったく消息がつかめない。「逃げたか。大丈夫か。」皆がA君の行方を心配する。
2週間以上経った頃だろうか。A君が突然帰ってきた。
卒業設計が辛く、アイディアも創作も困難になってきた。思い余って実家近くの狭山湖をドライブしていたら単独事故を起こしてしまい、車を大破させてしまった、という。
A君が無事であったことは何よりであったが、その時私が思ったことは「逃げるべきでない時は、逃げるべきではない」ということだ。もちろんいじめとか、逃げてもよい場面は人生にはある。しかし、立ち向かわなければならない場面も一方で人生には必ず訪れる。
「逃げ」が「逃げたことにならない」ということをまざまざと教えてくれる出来事であった。
A君は今、どこでどう暮らしているのだろうか。