自分のしたいことができる時間は多くない

今の私の年代になると「自分がしたい」と思ったことになかなか時間を割けられないことを痛感する。
細かな業務や、他から依頼されること、また家族のことなど、さまざまな事柄に囲まれて、純粋に「何か」だけに取り組むことは容易でない。

となると、中学生・高校生のように目の前の受験勉強に集中して取り組むことのできる環境というのは、経済的に恵まれているから成り立つことであるし、とても贅沢な時間だということがわかる。ただ、その渦中にいる人間には、その有難みをその場で感じることは少ない。

ある程度歳をとってから、「ああ、あの時はとても贅沢な生き方をしていたのだな」としみじみ振り返るのだ。

先日も書いたかもしれないが、江戸時代の僧侶・良寛さんが「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」ということばを遺しているが、まさに「受験勉強をする時節には受験勉強をするがよく候」であって、「遊ぶ時節にはよく遊ぶがよく候」であり、「スポーツに打ち込む時節にはスポーツに打ち込むがよく候」である。

つまり何事も旬の時期というものがあるので、出来るタイミングに出来ることを全力でしておく。これが自分にとって次の扉を開く突破口になるということは間違いないと思う。