調べる訓練

SNSの普及により、ネット検索で「調べる人」と「調べない人」の差が広がっているような気がする。もはやネットで調べる行為自体が古典的とも言えるようになってしまったのではないか。

例えば飲食店を探すにも、以前はネット検索で調べていたのが、この頃はInstagramでインフルエンサーの投稿を見て「行こうか」と決めることが多くなったように思う。

インフルエンサーの拡散力に左右されるので、店の流行り廃りが極端になってしまい、長蛇の行列の店の隣は閑古鳥といった現象が生じやすくなった。

以前、付き合いで東成区のお洒落な果物カフェに行った。Instagramに力を入れていて「映える」ドリンク、「映える」スイーツで「いいね」を増やして、私が訪れた時も1時間待ちだった。

一方、そのカフェの向かいにある長年営業しているであろう昭和な喫茶店はまさに閑古鳥状態で、客の出入りする姿が見えない。

京都の清水寺で貫主を務められた大西良慶さんは「栄枯盛衰が激しいのは長続きしない。くすぶっているのが長続きする」といったことをおっしゃっている。
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009250006_00000

東成区のカフェもとても良かったが、お店の方もスイーツを作りながら写真撮影をしたり、客が「映える」写真を撮るためにカウンターの上を演出したり、これを毎日毎時間続けていたら身が持たないだろうなと私は思ってしまった。

もしかしたら、向かいの昭和な喫茶店の方が地元の常連客を相手にしながら更に長く営業を続けるのかもしれない。

「調べる」話に戻すと、調べる行為には根気が必要だ。ネット検索でさえ、膨大な情報の波の中で根気がないと目当てのものを調べることもできない。飲食店を調べるだけでも本当に骨が折れる。

しかし、調べることの出来る人は栄枯盛衰に左右されず自分の目的のものを見出し、調べられない人は世の栄枯盛衰に左右されるだけの人生となってしまう

と考えた時に、学生時代に身に着けるべきは「調べる力」であって、当塾では辞書や参考書での調べ作業を大事にしているが、ネット検索よりも更に厄介なアナログの調べ作業に慣れることで、将来の人生の広がりのようなものを提供できるのではないかと考えている。

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