『代表的日本人』の感想文(序)

◎T・A(中3)
幼少で親を亡くし伯父の家に世話になった。その時、自然は正直に努める者の味方であることを学ぶ。その後藩主に名声を認められ、荒廃地の再興を託された尊徳は、仁術を施し成功させる。それからは人々の求めに応じた適切な助言をし、道徳心をもつ人に変えていった。その仕事ぶりと考えは今でも私たちの中に受け継がれている。

私は五人の中でなぜ二宮尊徳を選んだのだろうか。一人一人読んでみてこの人は忍耐と信念と勤勉によって、人々が自力で克服する手助けをした、今の日本にとって一番必要とされる人ではないかと思ったからである。今の日本人は自己中心的な人が多く、自分さえよければいいと考える人も多く、私自身もそのような所が少なからずある。しかし、この本を読んで尊徳の教えを知ったことをきっかけに、その考えを見習い自分がしなくてはいけないことに励み、生活をしようと思う。

◎H・F(中3)
私は代表的日本人の中の人物から「上杉鷹山」について考える。今回読んだ中に「衣食足りて礼節を知る」とあった。つまりこれは、人は生活に余裕ができて初めて礼儀や態度をわきまえられるということである。「衣服」と「食物」は、生活する上での根本であるから、それらが満たされることによって心にもゆとりができ、礼儀を知ることができるということだ。

自分は、「衣服」や「食物」について昔の人よりは裕福だと思う。なので「衣食」が足りているということは礼節を知ることができていることになる。自分が生きていく上で礼儀というのは忘れてはならない存在である。今一度自分の生活態度を見直し、今ある状況に感謝をし、また礼儀も忘れない人生を送っていきたいと思う。

◎T・M(中3)
尊徳は、一六歳の時に親を亡くしてから父方の伯父の世話を受けることになりました。この若者は、一日の仕事を終えた夜中に必死に勉強したが、伯父に「俺が面倒を見ている、おまえの時間は俺の物だ」と言われ、尊徳は「伯父の言う通りだ」と思い、それ以来仕事を終えては、伯父のために働きました。数年後、尊徳は自分の手で収穫した僅かな米を携えて両親の家に戻った。それから何年もたたないうちに、尊徳は沢山の資産を所有するようになり、近所の人々から、模範的な倹約家、勤勉家として仰がれる人物になりました。

私は、尊徳と違い伯父に「おまえの時間は俺の物」なんて言われたら「どうして自分の時間も貰えないんだ」と苛立ちを感じると思います。しかし、尊徳は「伯父の言う通りだ」と思い、仕事が終わってからも伯父のために働くのは凄いと思いました。私は、尊徳の話を読んで気がついた事があります。それは、努力を続ければ尊徳のように周りの人から認めてもらえる、という事です。