自由学校の設計

大阪市立大学教授を経て「きのくに子どもの村学園」を創立された、堀真一郎先生の著書。
初版が1997年で、今回紹介するのは2019年刊行の新装版から。

(抜粋ここから)

◎教師は、子どもが自発的に行動し学習するための環境や条件を用意する。これは、強制によって子どもを指導するよりも、はるかにむずかしい仕事だ。子どもの自由が多ければ多いほど、教師の側には周到な準備が要求されるからだ。(P.75-76)

◎現代の学校教育は、既成の知識の暗記に異様なほどの力が注がれている。ところが自分自身で知識をつくるプロセスは、ほとんどないがしろにされている。だから、覚えることは得意でも、自分で考えるのは不得手だ。不得手というより、むしろ自分で考えることに不安さえ感じているかもしれない。オウムの幹部たちは、地下鉄の中でサリンを撒いたらどうなるか十分に予測していただろう。しかし彼らは、教祖の命令には、逆らうどころか、ほとんど疑問も持たなかったのだ。(P.79)

◎「日本の先生はね、勉強を教えれば、子どもは頭がよくなると思っているのかしら。」
これは、かつてサマーヒルで、ある日本人の生徒と話をしていた時に、彼女が何気なく口にしたことばだ。たぶんそれほど深く考えていったわけではないだろう。しかし私たち親や教師は、彼女の問いに真剣に答えなければならない。(P.80)

◎気を付けなくてはいけないのは、子ども自身の選択、発想、判断などを尊重するからといって、教師の指導性を放棄するわけではないということだ。むしろその正反対である。教師は、現在の子どもの姿(発達段階、成育歴と学習歴、好み、適性など)をよく理解した上で、彼の知的興味を刺激し、熱中して取り組ませ、結果として確かな力を伸ばすような活動や環境を豊富に、そして周到に準備しなければならない。教師はどんなにがんばっても、直接に子どもを伸ばすことはできない。子どもを伸ばすのは、さまざまな活動や環境である。だから自由学校における教師の指導性は、いわば間接的に発揮される。(P.119)

◎知的興味や意欲をそそる活動の用意されていない環境で、「何でも好きなことをしてよい」といわれた子どもは、かえって不自由を感じるだろう。真の自由学校とは、何かをしなくてもよいというだけではなく、むしろ魅力ある活動がふんだんにある学校である。(P.120)

◎理屈の上でも、私たちの経験でも、子どもに認められる自由の程度と、それを保障するために使われる教師の時間やエネルギーとは比例するのだ。(P.120)

◎このような学校では、教師に権威が存在しないわけではない。しかし通常の学校の教師の権威とは違っている。そもそも権威とは「人を従わせる力」といってよい。自由な学校の教師は、物理的な力や権力(外的権威)を背景にして従わせたりはしない。人柄、学識、能力のかもしだす権威(内的権威)に自然に子どもが従うのだ。(P.120)

◎知的に自由な人とは、旺盛な知的好奇心を持ち、いろいろな問題に敏感な人だ。と同時に、自分の目で見て、自分の頭で結論や仮説を出し、自分の手や感覚をつかって確かめようとする人のことだ。(P.160)

◎もともと子どもは、本当は好奇心のかたまりのような存在のはずだ。せっかちに大人が教えたり手伝ったりすると、激しく拒否する子どもも珍しくはない。それがいつの間にか、受験戦争や将来の心配を持ち出して脅さないと、自分からは学ぼうとしないようになる。その理由の一つは、子どもにとって学び甲斐のないことを強制されているからであり、もうひとつは、抽象的な結果の記憶だけが大事にされ、探究のプロセスがおろそかにされているからだ。(P.161)

◎激しく変化し、情報があふれ、世界観も多様化するこれからの社会において、いちばん大事なのは何だろうか。それは、世論や常識にあやつられて右往左往しないで、自分自身をしっかりと維持し、自らの判断を大切にする生き方ではないだろうか。そしてもう一つ、私たちは、自分自身のものの見方からも自由でなくてはいけない。(P.163)

◎情報に踊らされては困るけれど、必要に応じて情報を集め、それを上手に使う能力は、知的自立にとって大切な手段であろう。図書館や博物館、マスメディア、そしてパソコンなどの利用法は、知的自立にとって有力な道具になる。読み書きもこの道具の一つだ。(P.164)

◎親から離れられない子は多いが、子どもから離れられない親も同じくらい多い。ニイルは、子どもがサマーヒルになじむにつれて、サマーヒルに嫉妬するようになる親が少なくないと書いている。(P.165)

◎短期間の実践だけでは成果を判断するのはむずかしい。学園の教育の効果は、子どもたちが大人にならないと判断できないのかもしれない。(P.171)

◎~きのくにの修学旅行でよいところは、自分たちで行きたい所を決められること。悪いところは、なんにも言わなかったら、修学旅行に行けないこと。子どもが修学旅行に行こうって言わなかったら、大人はなんにも言ってくれない。~(佐賀直人、十二歳)(P.173)

◎食事はバイキング方式である。食事はしつけの場ではない。楽しみと社交の場である。偏食をする子があっても、すべての料理を食べるように強制したりしない。(P.189)

◎~前の学校の子が、「きのくになんて算数おくれてるやろ。あんなとこいったらアホになるで」といったけど、わたしは、前の学校で勉強している時は、ぜんぜん頭に入らなかった。だって自分がわからなくても、すぐ次のとこへいっちゃう。きのくにでは、自分のわからない所を、わかるまでやっていられる。それに算数だけが勉強じゃない。かずとことばの時間以外に、いろんなことを学んでいるのです。家だって作れるし、ミーティングでみんなで話し合って、きのくにの子どもの方が頭いいと思う。~(水田麻衣、十二歳)(P.217)

◎私たちが提唱し、実践し、本書で論じてきたのは、以下のような発想の転換である。
 1 教師中心主義から、子どもの自発性、興味、好奇心の尊重へ
 2 画一主義から、子どもの個性の重視と学習の多様化へ
 3 書物中心主義から、体験を通して考える態度と能力の育成へ
(P.270)

◎卒業生に聞いてみると、困ることもあるらしい。もっとも教科の学習よりも人間関係で戸惑う子が多いようだ。戸惑いの原因は、ひとことでいえば「進学先の同級生が幼い」ということにつきる。自分で考えたり、一人で行動したりできない子が多いというのだ。卒業生五人のうち四人までがそのように感じている。トイレへ行く時でさえ「ねえ、トイレへ行かない?」と誘われてびっくりするらしい。「先生が生徒を子ども扱いする。わかりきったことでも、繰り返し何度でも注意するのでイヤになる。」これは大阪府でいちばん偏差値の高い公立高校に進んだ子のことばである。(P.274)

◎「きのくにでどんな力がついたと思いますか」
 行動する力(91%)
 自分の意見を持つ力(89%)
 考える力(88%)
 意見を聞く力(88%)
 自分の意見を主張する力(75%)
(P.276)

(抜粋ここまで)

本書には「きのくに子どもの村学園」における理念・理論が緻密に描かれている。まさに自由学校の設計書である。

『自由学校の設計~きのくに子どもの村の生活と学習』(堀真一郎・著、黎明書房)

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