啓発録の感想文2017

『啓発録』橋本左内・著

◎F・H(高1)
志を立てるということは、自分の心の向かい赴くところをしっかりと決定し、一度こうと決心したからには真直にその方向を目指して、絶えずその決心を失わぬよう努力することだと橋本左内先生は記しています。

自分が十四歳のときは受験生で、十月になっても志望校を一校に定めることができておらず、塾に通っていれば受かるだろうという気持ちが少しありました。そのため、真直にその方向を目指して努力することができていませんでした。しかし、先生は自分とは異なり学問への熱意が強くその方向を目指して努力しており、幼い頃から学問に励み色々な経験を積み重ねてきたからこそこのような考えにたどりつき、満十四歳のときに「稚心を去る」「気を振ふ」「志を立つ」「学に勉む」「交友を択ぶ」の五項目で構成される、啓発録を記すことができたと自分は考えます。

→F・H君。読みやすく上手な作文になった。「塾に通っていれば受かるだろうという」・・・率直でよろしい。まさにそういう考えの生徒は多いだろう。塾に通っていても本人が努力をしなければ希望する高校に受からないのが真相である。

◎T・M(中3)
志を立てるというのは、自分の意志をしっかりと決め、一度決めたからには、その決心を失わぬよう努力をすることです。志が立ち定まっていれば、日に日に努力を重ね成長する。反対に志が立ち定まっていない者は、いつまでも少しの向上がない。志を立てる上での注意は、目標までの道を多くしないことや自分の心を一筋に決め、守りやすくしておくことが大切です。また、自分で将来の目標や達成する方法をしっかり考え定めた上で、両親や先生に相談する事も大切です。

私は、志を立てる時にいつも「このくらいで良いかな」と簡単に決めていた時がありました。でも今回「啓発録」を読んで、志はしっかりと決めて、一度決めたからにはその方向を目指し、努力をすることが大切だと思いました。したがって、これからは志を立てる時には、しっかりと立ち定めて、その方向を目指して最後まで努力を続けようと思う。

→T・Mさん。文体の統一(常体=である調、敬体=ですます調)が課題。T・Mさんのその他について・・・学習内容が多岐に渡ることに惑わされず、これからも目の前の課題を一つひとつ丁寧に積み上げていってほしい。現時点ではよく頑張っている。

◎F・R(高3)
今回読んだ中に「人が詩を作れば自分も詩を、文章を書けば文章を」とあった。つまりこれは、相手が何かをやっていれば、自分はそれを羨ましく思い相手に合わせてしまう。いわば「人の真似事」である。このことに関しては、どんなに時が流れようとも同じなのだろう。しかし、この様な考えを十四歳でもてるとは、驚きである。

自分が十四歳の時には、この様なことを考え様ともしなかったであろう。たしかによく考えてみれば、友人がゲームをしていれば自分もしたくなり、本を読んでいればその本が読みたくなる。人と同じことがしたくなってしまうのだろう。この様な極々一般的なことを考え、自分を規範として書き、それが世に知れ渡った。今回読んだのは「志を立つ」だけであるが、次にまた啓発録を読むことがあれば、別の項目を読みたいと思う。

→F・R君。課題文から理解したことを「人の真似事」といった自分の言葉に置き換えているところが良い。「この様な極々一般的なことを考え、自分を規範として書き、それが世に知れ渡った」という解説も秀逸ではないか。核心をきちんと捉えている。一点だけ残念なのは、添削時の指摘事項が清書に2箇所反映されていないこと。

◎T・A(中3)
「志を立つ」とは、心に決めたことを表しています。志を決めた人は努力をして目標を達成しようとします。しかし目標を決めていない人は、努力を怠っていて虫と同じ、向上のない人ということです。ある足の弱い人が江戸に行くと目標を決め、行くことができました。ですが体は丈夫でも江戸に行こうと目標を決めなければ行くことはできません。よって目標を決めていくことが大切です。例えば心に残ったことを記録しておくことや努力を重ねていくことは怠らないことです。

橋本左内は十四才の時に啓発録を書き上げています。十四才で目標や努力について書けていて、私にはできないと思います。私は小学生の時から将来の夢があります。その夢に向けて日々努力をし、達成できるように頑張り続けたいです。目標を諦めないことの大切さがたいへんよく理解ができたので、より一層努力を重ねていこうと私は考えます。

→T・Aさん。前半の要約を減らして、後半の自身の意見・考えを更に広げた方が文章のインパクトが大きくなるかもしれない。T・Aさんのその他について・・・入塾時に比べれば色々な意味で飛躍的に良くなった。あとは時々見られる【詰めの甘さ】が抜けていけば、志望校への距離も劇的に変化するはずだ。あとは本人次第。

◎N・M(高3)
私は「世の中の人の多くが、何事もなし得ずに生涯を終わるのは、その志が大きく逞しくないためである。」という文に関心を持った。前文では「どんなに偉人でも、その志が大きく逞しかったから、ついに天下に知らぬ人もないような名声を得るに至った」と記されている。つまり、ここまで日本を作りあげ、歴史に名を残した人物は皆、偉大だったとしても、志を立て、必死に努力し、人を動かしてきたからではないか、と考える。

今まで、私の中に志という言葉はなく目標という言葉で数々の事を達成してきた。しかしその目標とは期末考査で順位を上げるといった小さい目標に過ぎない。私は将来、高校の体育教師になりたいと思っている。教師になる事は簡単な事ではない。資格や教員採用試験といった、過去に経験がないくらいの学習が必要だ。それを乗り越えるためには、志を立て、絶えずその決心を失わぬよう努力することが大切だと『啓発録』から学んだ。

→N・Mさん。目標に対して、自身が今どういったことを実践しているか、という具体性を述べた方が説得力が増す。この作文ではないが、送り仮名などの基本的なミスも少なからず見られるので、将来進む職種によっては苦労の種とならないことを願っている。改善策は本を多く読むことと、自分でどんどん文章を書いて積極的に添削を求めることだろう。今は読むことと書くことが圧倒的に足りていない。

◎A・R(中2)
志を立てるというのは、自分の心の向かい赴くところをしっかりと決定し、一度こうと決心したからには真直にその方向を目指して、絶えずその決心を失わぬよう努力することである。志を立てる近道は、自分の足らぬところを努力し、そして自分の前進するのを楽しみとすることが大切である。

私は今までの人生で、志を立てて何かを懸命に取り組んだことはなかった。けれど、橋本左内先生の『志を立つ』を読んで、スポーツでも勉強でも、努力をしなければならないということを改めて感じさせられた。努力をしなければ成功することは必ず無い。だから物事を成功させるためにも、志を立てなければならないと思う。私は、学習面ではいつも同じ所を何回も間違えたりなど失敗が多い。それを成功させるためには志を立てて努力を怠らなければならない。

→A・Rさん。文末「努力を怠らなければならない」???。A・Rさんに関しても【詰めの甘さ】が各所で見られる。部活動でも同様の課題が出ていないだろうか。1~2個のミスならまあ許せるか、という所に3個をミスすることの連続であるので、相手の失望も大きくなる。そういった【損な状況を自分自身が作り出している】ことを認識することが出来れば、勉強面に限らず部活面でも状況の好転が見られるはずだ。

◎O・S(中3)
私は、『啓発録』の『志を立つ』を読んで関心を持った部分があります。それは「自分の足らぬところを努力し、そして自分の前進するのを楽しみとすることが大切である。」というところです。私は、一日の勉強時間が少ないと思っています。したがって、その足りないところを努力し、一日の勉強時間を伸ばしていきたいです。

私は、将来の夢などの大きな志がまだありません。しかし、何か大きな志ができた時は、その目標と、それを達成するための方法を、しっかりと考え定めることが必要となります。そして、自分の力の及ばぬ部分を補い、そうして決定したところを一筋に心に刻み込み、自分で決めた大きな夢を叶えたいです。

→O・S君。清書前に比べれば3~4学年程度成長したようには思うが、まだ幼い。時間は「伸ばす」ではなく「延ばす」。作文講座2回目ではB4原稿用紙と指示されていたものを一人だけA4原稿用紙で提出したりと、単に「話を聞いていない」場面が見られる。教科学習でも同様。指示されたことを忠実にこなすのは当然として、分かりやすい指示だけではなく本人が頭を働かして「どうすればよいのだろう」と常に考えさせるような課題を投げかけることもO・S君に対して周囲の大人の課題であると思う。メンタル面も含めた更なる成長を望みたい。K高校はその先にある。

◎H・F君(中3)
志を立てるということは、自分の心の向かい赴くところをしっかりと決定し、一度こうと決心したからには真直にその方向を目指して、絶えずその決心を失わぬよう努力することが大切である。

自分は第一志望校はバレーが強い高校に行きたいと思っており、そのためには勉強もしなければなりません。塾に通っていれば必然的に頭がよくなるだろという気持ちしか頭にありませんでした。そのため「バレーだけがんばれば」という方向しか考えていませんでした。しかしバレーだけしていても、バレーの技術はたりていても、そこの高校に入る頭がなければたとえスポーツができていても入れなくなります。塾はある一種自分のサポートだと考えます。先生がどんなにがんばっていようと、自分が志を立てなければ何の意味もありません。これから志を立てる時には、最後まで努力を続けようと思いました。

→H・F君。本作文のみ清書ではなく1回目の文章。文体の統一(常体=である調、敬体=ですます調)、「よくなるだろ」といった言い回しさえ改善されて清書をすれば全員の中で最も良い作文に仕上がるかもしれない。「必然的に」といった言葉を使いこなしているのは意外で驚いた。「先生がどんなにがんばっていようと」に見られる独自の意見が書かれていることも好印象。