単語や文節の羅列のみで説明が下手だな、と思う話と関連するのは、近年生徒がノートを使用する際に、解いた問題集のページ数を書かず、いきなり(1)のように問題番号から書き始める傾向が増えていることだ。
恐らく「自分が分かっていればよい」という風に、そのノートを誰かに見せるプレゼンテーション感覚が希薄で、志向が内向きになっていることは原因の一つだと思う。
また、自分が何かをしなくても、他人が何かをしてくれる。自分が答えを出す前に誰かが答えを出してくれる、ある意味平和ボケのような状況もこれを手伝っているだろう。
宿題という断片化された課題を提出する、という限定された範囲でしかものを見ていない。これは生徒が私に何か用件を伝える時に「何某です。AAなので、BBをするからCCします。よろしくお願いします」という一貫したストーリーではなく、
生徒「AAです」
私「だから何?」
生徒「BBします」
私「だから何?」
生徒「CCします」
私「それ、一つに繋げて説明しなよ」
みたいなぶつ切りのやり取りになってしまう。
中間・期末テストであれば、
生徒「こういう範囲です」
私「じゃあこうしようか」
生徒「テストの結果はこうでした。ここが出来てここが駄目でした」
私「じゃあ今回の反省点はこうだね」
という一貫したストーリーが繋がることなく、
私「テスト範囲持ってきなさい」
生徒「持ってきました」
私「テスト結果持ってきなさい」
生徒「持ってきました」
のように、場当たり的な動きしか見えないことが多い。
これは社会人であれば、お客様がいて、仕入れや販売の状況があって、社内の経費の使い方の問題があって、と俯瞰的に自分の立ち位置を見るのではなく、社長に言われたから、会社でそうなっているから、という風に視点や思考が近視眼的(大局を見通せず、目先の事だけにとらわれている)になっていることとも連動している。