採点の引力

今回の理社講座では現在までに中3のT・Aさんが全5回両科ともに100点満点を取っている。しっかりと詰めて練習が出来ているということで良い。T・Aさんが、という訳ではないが、連続して満点を取れている生徒の答案を採点していると、何とか今回も満点であってくれ!と願いながら私自身採点をしていることに気づく。従って、万が一そういった生徒がミスをしてしまった場合に、何とかこれを○にする見方は出来ないだろうか、と採点者は思案するのだ。

一方、毎回間違いの多い、練習を大してしていない生徒の答案を採点していると、またここも出来ない、次も出来ない、と採点側としてはむしろミスをあら探しする思考に入っていく。なんだこの漢字もおかしいではないかと、毎回満点を取っている生徒が多少おかしな漢字を書いていたとしても、まあいいだろうと見逃すところが、ミスを連発している生徒の答案からは更にミスを見出したくなってくる。これが採点側の偽らざる気持ちだ。

これらのことを単純にそれぞれの生徒に適用して指導をしているわけではないが、採点側のこうした心理を生徒側は知っておいて損はない。

つまり、毎回満点を取っている生徒はそこで「信用」が積み上がっているのだ。だからちょっとした失敗を許してもらえることが起こり得る。反対に、ミスを連発している生徒がまた新たなミスを犯すと、負のイメージがさらに積まれていく。

結局、これは生きていく上での知恵の問題なのだと思う。失敗しない人間なんていないし、ミスを犯してもそこから学んで人間は成長していくものだろう。そこで、一つの失敗により更に自分の地位・価値を落としていく人間よりも、ちょっとした失敗を見逃してもらえる(いちいち目くじらを立てられない)人間の方が生きていてお得であるに決まっている。

だからこそ、日ごろの練習はきちんと、確認テストがあるならばそこで満点を必ず取る、という努力の積み重ねが自分自身そのものを守ってくれるのである。