研数学館とK先生

まずはニュース記事から。

「代ゼミ、センター試験の自己採点集計も中止へ」
読売新聞 8月24日(日)8時44分配信

全国の拠点の大幅な閉鎖方針を打ち出した大手予備校「代々木ゼミナール」が全国模擬試験を来年度から廃止することが23日、わかった。来年1月の大学入試センター試験の自己採点結果集計・分析は実施しない。模試の分析データは受験生や高校の進路指導などでも参考にされており、影響は大きい。代ゼミ広報企画室によると、全国27校のうち、来年3月末で閉鎖するのは、仙台や横浜、京都、熊本など20校。本部校と、札幌、新潟、名古屋、大阪南、福岡の各校、造形学校(東京)の計7校に集約するという。

4月以降は、「センター試験プレテスト」や「国公立2次・私大全国総合模試」などの全国模試を廃止。大学入試センター試験の自己採点結果を集計・分析し、志望大学の合格判定などを示す「センターリサーチ」は2013年度、全国で約42万人が参加したが、とりやめる。「東大入試プレ」など個別大学志願者向け模試は、存続の方向で検討している。

先週あたりからインターネット上で情報が拡散し、週末にはYahooトピックスで当該ニュースが報じられた。私が高校生の頃は『テキストの駿台、講師の代ゼミ、机と椅子の河合塾』ということで、三大予備校の一つとしてその名を轟かせていた代ゼミも、もはや終焉と言えよう。縮小・集約化で成功した例はあるのだろうか?私には難しいように思う。

縮小・集約化を図った挙句、結局消滅してしまったのが、私が高校生の頃に通っていた水道橋の研数学館である。研数学館は1897年(明治30年)の創立だったから、駿台の1918年、河合塾の1933年、代ゼミの1957年に比べてダントツに古い。現在も財団法人は存続しており、数学セミナーなどの活動はしているようだが、旧東京校も本館の建物が残っているのみで、隣接する別館は居酒屋の和民に改装(別館には食堂と自習室があった記憶がある)、進路指導室や大型教室があったA館は現在取り壊し中、通りを挟んだ裏手のB館は専門学校がテナントとして入居、理科実験室のあった本郷校舎は昭和第一高校へ売却、ちょっと離れて津田沼校は河合塾へ(そう、津田沼の河合塾は元々は研数学館だったのだ)。

その研数学館が本郷校舎・春日部校の閉鎖、と徐々に縮小・集約化を図ったものの、結局東京校・津田沼校の全面閉鎖に追い込まれた経緯がある。代ゼミの存続7校舎も、そう長くは持たないのではないか。

研数学館の話に戻るが、私にとって高校時代何が楽しかったかと言えば2年間研数学館に通っていたことほど楽しかったことはないと思っている。お茶の水駅や水道橋駅で赤地に白抜きの「KENSU」ロゴ看板を見るのは研数生として誇らしい気分だった。現在、東進で活躍されている数学の石綿夏委也先生や代ゼミの藤田健司先生は当時研数で私も受講していた先生方だ。英語の堀史朗先生も、講習会では即日満員締め切りとなるような人気講師だった。

何よりも、私が今この仕事をしているのは数学の木佐貫肇先生の影響が1000%だと言える。この先生の授業スタイルに憧れ、この先生を追いかけて私は2年間研数学館に通ったと言って過言ではない。高2の春からお世話になり、高3の新学期スタート時に他先生の講座を受講することになったのだが、どうしても肌に合わず、木佐貫先生の担当されているコースへ転科を願い出たほどだ。

予備校業界としては決して有名どころの先生ではない。でも、私の中では木佐貫先生を越える先生は、他に誰一人としていない。「はい、こんにちは~」…颯爽と教壇にのぼり、生徒の受けを狙うこともなく、淡々と講義を進めていく。そして必要なこと、語るべき言葉を全て黒板に白・黄・赤の3色で注ぎ込む。字がきれい過ぎないところが、またいい。とにかく書く、書く、書く。研数本館の狭い黒板を、2時間の間に黒板消しが何十往復もしていく。時に意表を突いて「はい、ではこの問題解いてみましょうかー」独特の関西なまりで教室を巡回していく。先生が研数の機関誌の中で「学問の王道を提供します」と書いておられたが、まさに王道の授業だったと思う。

生徒に媚びず、無駄な演出をしない。淡々と進める。それでいて口で語ることは全て漏らさず板書に書き残していく。過度な雑談はしない。サッと現れ、サッと消えていく。生徒によっては物足りないと感じる者もいたかもしれないが、私にとっては「濃い原液」を飲ませてもらっているような感覚で、毎週金曜日の授業が待ち遠しくてならなかった。

先生に質問をしたい・・・でも、緊張し過ぎて先生の前では手に持った鉛筆が震えるのだ。大学合格発表の日、講師室に挨拶に伺ったが、またもや緊張で喉もカラカラ、言葉にならない。一度、水道橋駅のホームで、反対側のホームにいらした先生がこちらに「やあ、どうもー」という感じのジェスチャーを送っておられたのだが、私は下を向いたまま前を向けなかった。あの時前を向いていれば・・・。あれから随分時が経つのに、いまだに悔やんでいる自分がいたりする。

・・・これでは初恋をした女の子みたいではないか。いや、そうではない。これが「あこがれ」というものである。木佐貫先生と出会うことがなかったら、私がこの仕事に就くことは1000%無かったと思うし、木佐貫先生の後姿を追いかけるべく、今もこの仕事を続けているといったほうが相応しいかもしれない。

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kamiojuku