「学ぶ」は「真似ぶ」

「学ぶ」ということばが「真似ぶ」を語源としているという説は、国語学としては必ずしも正しいものではないらしい。しかし、手本を真似て、技を修得してから自分自身の技能を磨いていくという武道における「守・破・離」の3ステップと照らし合わせてみれば、決して的を外した考え方でもないだろうと思う。

実際に、勉強のうまくいっていない生徒は真似をすることも得意でない

例えば、ある生徒が数学の問題を解けなかったとする。そこで私が黒板に「こうするんだよ」と解法例を示してみる。すると、生徒は黒板を見て、その10分の1程度もない式だか数字をパラパラとノートに書いて、「やっぱり出来ません」となる。

「いやいやいや、まず黒板をそのまま写せって。」

と、「黒板に書いてあることを色分けして全部書くんだよ」という所から指示しないといけない。そして、書き写したことを何回もそっくりそのまま書いて自分の中に刷り込みなさい、と。

学校でも塾でも先生が黒板に書くことというのは、説明のために書いているだけではなくて、「あなたが解くとしたらこういう風に書けばよいのだよ」というサンプルを示しているのだ。だから、こういう時に黒板をサッと確実にノートに書き写して、それを真似ながら問題を解こうとすることの出来る生徒の方が圧倒的に上達が速い。

先週の行動チェックシート12項目の話題でも書いたが、数学が出来ない生徒ほど途中式を省略したがる(プロセスに目を向けない、紙に書かない、頭の中で処理しようとする)という定番中の定番の法則がある。何事も過程を抜きに物事は語れないわけで、学ぶというプロセスの中にもまず「真似をする」という大前提が欠かせないのだ。