かつて「きつい」「きたない」「きけん」という劣悪な労働環境を示す【3K】という言葉があったが、最近私のなかでは人間にとって大切な3つの指標、「感性」「考え方」「行動」が【3K】ではないかと考えている。
◎豊かな感性
「もののあはれ(折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁・・・Wikipediaより)」が代表的な感性だとすれば、「気づく力」もそのひとつだろう。学生の勉強において、数学は特に気づく力が必要で「ここであの公式を使おう」「そこであの定理を使おう」と自分の中の記憶に気づいてそこから引き出したり、途中式をジッと見ながらこうしたらもっと楽に解けるのではないかと工夫すること、これも気づく力だ。社会人でも気づく力の弱い人は人望もないし、本当に厳しい。いや、正確にいえば致命的に厳しい。「なぜ数学を勉強するのか」という素朴な疑問もこの話で解決できるはずだ。「気づく力」を身につける一生モノの訓練をしているのだよ、と。
◎正しい考え方
月に2回神社で奉唱している祝詞から抜粋してみよう。
「人の人たる道を渡り その生業を勤しみ務め 人と交はりては 誠を持ちて相親しみ 尊きに従ひ貧しきを助け 時の政治(まつりごと)に背かず 開け世の法に違はずば」
(意訳)人としての正しい道を進み、自分の仕事をきちんと全うし、他人と接するときは誠意をもってお互い親切にし、尊いものを大切にし、困っている人には手を差しのべる。自分の住む地域や人々に背くことなく、世の中のみんなで決めたルールを犯さない。
「正しい考え方って何?」と問われたら、この祝詞のフレーズが腑に落ちるのではないか。「宿題は手を抜かずにきちんとやろう」「道具を大切にしよう(ちゃんと片付けよう)」「集中している人の邪魔をするのは駄目だよね」と、塾での毅然とした指導というのは、実は「正しい考え方」を養成しているのだ。
◎美しい行動
私が子どもの頃はまだ「お百姓さんに失礼だから、米粒ひとつ残らず食べなさい」みたいな食事中の戒めが生きていたように思うが、例えば食事ひとつ見ても、「食べ方の美しい人」は「仕事の段取りの上手さ」と連動していて、合理的に手際よく仕事を片付けることと、食べ方や食後の食器の汚れ具合は繋がっているように思う。
例えば塾で「椅子を奥まできちんと仕舞え」というのは、それを生徒が自分ですれば、片付ける他人の手間というものが一つ減る。そのように他人の余計な手数が減っていけば合理的に全体の仕事が進み、他人の休息時間が増え、コストダウンになり、その分の労力を他の生産的なことに注ぐこともできる。そういう循環が自分に戻ってきて自分自身の生産性、ひいては社会の生産性が上がる、と。そういう社会の基本的な仕組みを、今は理解出来なくても生徒に身体で覚えて欲しい、という考えがある。