与えられた仕事を完璧にこなせ

9/11(日曜日)のフジテレビ「ノンフィクション」を仕事をしながら流し見していた。イタリアンの鬼才・小林幸司氏が軽井沢の店を閉じて銀座にレストランを新規出店するまでの格闘の話だ。店のオープン後、若手のスタッフ2人の間には扱いの差が生まれていた。一方は小林氏のアシスタントに、一方はそういう上位の仕事をさせてもらえない。上手くいかずに葛藤している若手スタッフに小林氏が喝を入れる。

「与えられた仕事を完璧にこなせ」

武道の守・破・離におけるファーストステップ、「守」の部分を確実にせよということだろう。どの世界にも通じる話だと思った。

森信三先生の「修身教授録」(致知出版社)でも、

【誠に至る】
誠に至るのは、何よりもまず自分の仕事に全力を挙げて打ちこむということです。かくして誠とは、畢竟(ひっきょう)するに「己れを尽くす」という一事に極まるとも言えるわけです。すなわち後にすこしの余力も残さず、ひたすらに自己の一切を投げ出すということでしょう。 これは自分が体当たりで打ちかかっていくところから、そこにおのずと開けてくる道と言ってもよいでしょう。

【やり抜く】
最後までやり抜くということ。人間が偉いか偉くないかは、これで岐れるのです。

【素質】
単に自分の素質をたのんで、全力を挙げて自分が現在当面している仕事に没頭することのできない人は、仮にその素質はいかに優秀であろうとも、ついに世間から見捨てられてついには朽ち果てるの外ないでしょう。

かくして人が真に自分を鍛え上げるには、現在自分の当面している仕事に対して、その仕事の価値いかんを問わず、とにかく全力を挙げてこれにあたり、一気にこれを仕上げるという態度が大切です。以上の事柄に関連して、もう一つ平生私の痛感していることがあります。それは私が現在、学生時代を顧みるに、学生時代に自分の素質をたのんで試験をおろそかにした人は、その後の歩みを見るにいずれも芳しくないようです。つまり素質としてはよくても、結局世間に出てから、大したこともせずに終わろうとしています。

とあり、このあたりの話は夏期講習の作文講座でも繰り返し中3の受講生と読んできた。先のことをあれこれ考えて気持ちが散漫になるよりも、目の前の課題に全力投球すること。これは学生でも社会人でも全く同じことだろう。