「教育七五三」の現場から

「高校で7割・中学で5割・小学校で3割が落ちこぼれ」というサブタイトルに衝撃を受ける。著者は元NHK社会部記者の瀧井宏臣氏。

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蔵書が多いとか、新聞を必ず読むとか、美術館や博物館、観劇に行くとか、見るテレビ番組を選ぶとか、持ち物や行動にも影響を及ぼします。そうした家庭の文化的環境や言語的環境の違いがテストの点数に現れるのだと思います。(P.143、お茶の水女子大学の耳塚寛明教授による調査より)
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上記は家庭環境と学力の相関性について。

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「長い針が上、短い針が下に来たら父ちゃんが帰ってくるけん、ごはんの支度しようかねとか、父ちゃんが帰ってきよったらイヌがクーンと鳴いたとか、母ちゃんが食事の用意しよるから、赤ちゃんが泣いとるとか。トータルな生活体験によって子どもは夕方六時の意味を理解するのですが、そうした生活体験がないと授業で計算を習っても理解することができません」(P.166、福岡県田川市教育委員会学校教育課の中野課長の話)
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同じく、幼い頃からの生活体験の積み重ねが学力の土台となるという話。

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教育現場でひそかに囁(ささや)かれてきた言葉に「七・五・三教育」というのがあります。これは、授業についていける児童・生徒の割合が、小学校で七割、中学校で五割、そして高校では三割になってしまうことを意味します。文部科学省が実施した調査で、「授業がわからない」と答えた児童・生徒が小学生で30%台、中学生で50%台、高校生で70%台だったために名づけられたと言われています。(P.166)
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これが本書のメインテーマ。ではなぜそういう現象が起きてしまっているのか、ということを生活環境、健康問題など子どもを取り巻く様々な面から分析しているのがこの本。

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「一斉授業を聞いてノートをとっているだけでは身につかないので、家に帰って自分で勉強し直すことが不可欠になります。しかし、家に帰ってもなかなか勉強をみてもらえない。そういう状況にもかかわらず、一斉授業をしていてよいのか。本当に学力をつけるなら、20人ぐらいのクラスにして、自学自習の教科書で生徒が自ら勉強する。教師はそれを補助する役割に徹することではないでしょうか」(P.170、京都大学・西村教授の話)
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生徒が受け身型の一斉授業に対するアンチテーゼのような形で「アクティブ・ラーニング」という言葉が使われるようになってきたが、実際には講義を垂れ流して、その前で生徒が他の事を考えながらノートをとったり、居眠りをしているのは良くないのではないか、という低い次元から脱却するレベルで「アクティブ・ラーニング」という言葉が上位校を除いて多用されるようになっている気がするが。

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見える学力とは、一言で言えば、テストの成績など評定可能な学力のことです。では、見えない学力とは何か。岸本さんによると、見えない学力には、いわゆる生活習慣だけでなく、家事手伝いや家庭学習、読書などの習慣、群れ遊び、親との会話といったさまざまな要因があります。(P.176)
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学力は机の上だけで育まれるものではない、という指摘。

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たとえば、規則正しい生活リズムは時間の学習の、家族旅行は地理や歴史の、読書の習慣は文章力の基礎になっているのです。また、今では衰退してしまいましたが、昔遊びのおはじきや双六は数の、かるたはひらがなの、百人一首は漢字や文章のセンスを育て、粘土や積み木は手の器用さを伸ばす礎になっていました。(P.181)
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まさに生活体験そのものが学力の土台になるということ。

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ということは、生活の崩れや遊びの消失などライフハザードによって見えない学力がやせ細るならば、見える学力も伸びないことになります。(P.182)
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夜更かしが常態化したり、屋外で思い切り遊べなくなったり、他者との交流がなくなっていけば、それもまた学力を低下させる一因になる、と。

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「学力の伸びは人格の発達を牽引します。このままでは、家庭で勉強を教えてもらえない子どもたちは学力が低いままに止まり、生きる力もモラルも身につけられない。それを放っておくと、戦前のようなファシズムの台頭を賛美し、支える膨大な層になっていくのではないかと危惧しています」(百マス計算を提唱した故岸本裕史氏)

陰山(英男)教授が「早寝早起き朝ごはん」を提唱している真の意味合いは、おそらくこういうことなのです。(P.182)
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深夜まで営業しているイオンやコンビニなどで幼稚園~小学生くらいの小さな子どもを見かけることが多くなった。次はそういうことについて。

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東京都足立区のある公立保育園では、三年越しで子どもたちの夜更かしの改善に取り組んできました。なかなか成果を出すことができませんでしたが、最後に壁を突破できたきっかけは、保育士と保護者が一対一で話し合う機会を作って、保護者からじっくり話を聴いたことでした。

「なぜ、夜更かしさせるのですか、自分が子どもの頃はどうでしたか」という保育士の問いかけに対し、母親たちは自分の母親から「八時になったら寝なさい」「もう大人の時間よ」と言われたことを思い出し、生活改善の一歩を踏み出したと言います。この逸話から浮き彫りになったのは、母親たちは夜更かしが子どもによくないことに気づいていない、あるいは忘れてしまっているということです。(P.201)
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とあるスーパー銭湯の出来事。まだ幼稚園かそれに満たないくらいの男の子と女の子の兄弟が深夜0時過ぎ、私のいるジャグジーの前を走って通り過ぎた。父親は外の露天風呂に入っているらしく、子どもはそのまま屋内でお湯にもぐったりお湯をかけたりしてキャッキャと遊んでいた。家庭によりそれぞれの事情はあるだろうが、そういう違和感を覚える場面に出くわすことがこの頃多く、そういう子どもが成長したら、やはり「家で勉強しないんです」「提出物も出していないんです」という崩れた生徒になっていくのは順当な流れなのではないか、と思ってしまう。

※出典:「教育七五三」の現場から(瀧井宏臣・著、祥伝社新書)