松戸市内の某珈琲店に入ったら、対応してくれたウエイターがどこかで見覚えのある顔だった。思わずウエイターの名札を覗き込むと、かつての卒塾生だった。
「あ、先生!」「今どうしてるの?」
満席の店内でプライベートな話はあまり出来なかったが、彼は数年前に県立の柏陵高校を卒業して、指定校推薦で法政大学に合格したという。今は2年生。柏陵には前期合格し、学校の先生になりたいということで高校1年から学年トップを走り続けていた。バスケ部でも主将を務めている。そんな彼が卒業まで学年トップを続け、指定校推薦で法政大に入るとは。大したものだな、と思った。
例年、中3の生徒達を見て思うことは「『やるか、やらないか』のどちらかなんだよな」ということ。「やる」生徒はどんどんやるし、「やらない」生徒はとことんやらない。勉強のことだ。この差はいったいどこから生まれるのだろうか。基本的なことを言うと、「やる」生徒は応援され、「やらない」生徒は応援されない。後者は周囲の人間がどこまでお膳立てしても受け身一方だから、砂漠に水をまくような不毛感が漂って他者から応援されなくなる。
今年の中3生も同様で、出来る・出来ないに関わらずガムシャラに前向きに勉強に取り組んでいる生徒と、確認テストの範囲が分かっていても全然練習をしていないな、家で何もしていないのだろうな、と思える生徒。今の時点でくっきり分かれている。
かつては強制自習なる自習を組んで、毎日決まった時間に全生徒一律で自習に来させていた時期があったが、今はそんなことをする気は失せた。無理矢理首根っこつかまえて自習スペースに座らせるのではなくて、自主的に、前向きに自習に来て取り組んでいる生徒に自習スペースをたっぷりと余裕をもって使ってもらいたい、という気持ちの方が今は強い。
あと、夏の終わりになって「自習は申し込んだ方がいいですか」と寝ぼけたことを尋ねてくる生徒がいたが、そういう生徒こそまず自習に来たためしが無い。来る生徒は、平然とやってきて、黙々とするべきことに取り組んで、さっと帰っていく。
「天は自ら助くる者を助く」は真理だと思う。これが出来る者と出来ない者の差はどこから生まれるのか、この答えはまだ見つかっていない。