漢字ならば、筆順がメチャクチャであったり、
計算ならば、途中式を整然と書くとか、式の最初にイコールを付けるとか、
英語で言えば、ピリオドとかカンマが抜けていたり、他には
◎「Are these English books?」という問いに「Yes,I am.」と答えていたり、
◎「baseball」と書いてあるのに「バスケットボール」と読んだりしている。
◎「What day is it today?」という問いかけに「It’s is Thursday.」というものも。
この英語の後者3点については、注意力の問題と言えなくもないのだが、全般的に感じることは、基本的な下積みの練習が圧倒的に不足していると思われる生徒が非常に多いということである。ゆとり教育が終了し、教科書が厚くなったことで学校の授業ペースが速くなったこと、またそれに伴って演習の時間が確保されにくいということも言えるだろう。
器用な生徒ならば、授業がトントン拍子で進んでも、それなりに要点を押さえて学力を蓄えていくことが出来る。しかし、そういうタイプの生徒はあくまで少数である。大多数の生徒は基礎的な練習を繰り返していかないと学力が身につかない。
最近ではタブレット端末上で学習させるアプリも登場しているが、これは一時的な「わ!面白い」「わ!楽しい」気分にさせるだけで、継続的な集中力、注意力、問題解決力を養う根本的なトレーニングには繋がらないと私は認識している。
必然的に神尾塾の(神尾グループの)授業は基礎的なトレーニングに重点を置くようになっているのだが、そうでなく教科書の表面をなぞっていきましょう、という授業になると、基礎杭を打たないで建物を建てたり、出汁をとらないで味噌汁を作るようなものであり、表面だけつくろって中身はガタガタの頭脳になってしまう。
この点に注目していかないと、どれだけ国や自治体が教育に予算を注ぎ込もうとしても、金をドブに捨てるようなことにしかならない、と私は考えている。
更に付け加えて言うと、
生徒が何らかの学習上の悪癖を持っていた場合、そこを見抜く観察眼と指摘して改善させる指導力。こういった指導者の力量も同時に問われることになる。