ある日の教室玄関。
この日は女子生徒ばかりだったこともあるが、もう完璧。理想的。
端から靴を並べて、それぞれきちんと収まっている。
別の日。
上段中央の靴が斜めになっているのが気になる。他の靴も、左右の上下がずれていたり、まだまだ。
ここで私が何を言いたいのかと言うと、気配りの出来る生徒にしていきたい、ということである。周囲の靴が揃って並んでいる中で、「あ、靴並んでいるな」という点に気持ちがしっかり向かって、「ならば自分の靴も揃えておこう」という気配り。「今まで気づかなかったことに新しく気づくこと、これを成長という」という話は夏期集中講座のガイダンスで生徒たちに話をしたが、そういうことだ。
逆に、周囲の靴が揃っているのに、自分の靴が乱れていることに気づかなければ、これほど鈍感なことは無い。これをいちいち言葉で指摘するのではなく、どうしたら生徒自身が自力で気づける環境を作るか。これが指導者として私の課題である。
やがては1枚目の写真のような靴の揃え方がいつも出来ている教室にしたいものだ。
(実は、靴の揃えについては傾向として旧初富教室の生徒の方が半年経った今でも苦手なようである。旧神尾塾の生徒や新規に神尾塾の生徒で入ってきた生徒は、揃えることが当たり前の環境で通塾をスタートさせているので、その意味で【はじめが肝心】ということを痛感する。ただし、旧初富教室の生徒でしっかりと出来ている生徒も勿論いる。)
あと、中2の女子生徒で毎回の退出時に人知れず全部のスリッパを揃え直してくれている生徒もいる。「その生徒よ、私はあなたのその行動を把握しているぞ。見ていないようで見ているぞ。」
学習塾だから勉強がメインなのは当然だが、こういう善行を人知れず出来ている生徒が報われる塾にしたいし、そういう気配りの行為が他の生徒に波及していくことを心から願っている。
※おまけ(夏の教室風景)