作文講座より

■修身教授録の感想文(7/28出題分)

◎T・Y(中3)

学問修養をすることは、たとえその素質や才能は豊かだとしても、私達が真に学問修養によって自己を練磨しようとしない限り、その才能も結局は朽ち果てる外ないでしょう、と森信三先生は記している。
私にとって学問とは、自分を成長させるものだと思っている。だが、今の自分を考えてみると、あまりそうとは言えない。どちらかというと作業になっているように感じる。私には今年受験があり、それは私にとって今までで一番大きな壁とも言えるだろう。だが、受験は今までの努力を発揮する場所に過ぎない。よって、今の自分では壁を超えることはできないのだ。その様な事を日々の中で考えていたからこそ、森信三先生のお言葉が私の弱みを握られている様で、心に残ったのだろう。この教訓を生かして、行動が出来る人に私はなりたい。また、「自己を練磨する」というお言葉も大事にし、壁と向き合う力をつけていく事が私の今後の課題である。

→「作業になっている」「壁と向き合う力をつけていく」といった強いフレーズがこの文章のインパクトを高めている。

他生徒の作文をもう一点掲載しようとパソコンに打ち込んでいたのだが、よく見ると引用が原稿用紙の半分以上、11行も引用していることに気付いて掲載を取り止めた。いくらなんでも11行引用は多すぎる。引用が増える場合は適宜自分の言葉で言い換えた方がよい。

■私の実践しているマナー(8/4実施分)

◎T・Y(中3)

私の考えるマナーとは、自分の意思を持ち、相手と接することだ。例えば、話し合いをする時、根拠がなく意見を発言している人に理由を尋ねると、「なんとなく。」など曖昧な言葉で返事をされることがある。これでは、この人がどの様な思いがあって発言しているのか、他者には伝わらないと思う。したがって、自分の意思を持って相手に接することで、他者に思いを伝えることができる。これが私にとってのマナーだといえるだろう。

◎W・H(中3)

私が普段気にしているマナーは、畳のへりを踏まないことだ。私はこれを茶道の稽古で学んだ。茶道に限られたことではなく、昔からの日本人の文化的マナーである。縁起などもあるが、正しいマナーは日本人として身につけたいものだ。私は先日、ある高等学校の説明会へ行き、茶道部の見学をした。そこではお茶会をしていたのだが、生徒さんが堂々と畳のへりを踏んでいてとても残念だった。多くの人に日本のマナーを身につけてほしい。

→T・Yさんの方は自分にとってのマナーで内省的。W・Hさんは社会的なマナー。他に、この日提出された作文では「ご飯に箸をささない」「自転車も左側通行で」「当たり前のことを当たり前にする」「挨拶をすること」がテーマとして書かれていた。

畳のへりを踏まない、というのは畳のへりを踏むと畳が傷みやすくなる、という面と、昔は畳のへりに家紋を縫いつける風習があったので家紋を踏むのは家を冒涜することになる、というのが主な原因であったかと思う。マナーというのも「マナーだから」となれば思考停止になってしまうので、なぜそれがマナーになったのか、という点まで踏み込めば更に良い。

当初はT・Yさんのように高評価の作文をピックアップしてきたが、この数週はいよいよ全員本気を出してきた。一人ひとり全員分の作文を読んで、私自身正直いって鳥肌が立った。来週以降はその「修身教授録の感想文(その2)」「8/11セミナーの感想文」を全員分掲載したい。作文講座も残り1回である。