勉強の意義

福岡市博物館で常設展示されている金印を見てきた。金印は日本が弥生時代だった1世紀半ば、倭奴国王が貢物を届けた際の返礼として後漢から贈られたもので、江戸時代に福岡県の志賀島(しかのしま)で発見された。私も、中学生のころは「金印」という言葉をただ丸暗記していただけであったが、実物は教科書で見る写真の印象と比べて随分小さい。親指の先くらいのサイズだ。

歳を重ねていくと、学生時代に断片的に収集してきた情報がひとつふたつ、線へと繋がり始める。今回の金印見学もまさにそうで、学生時代に丸暗記でもいいから勉強していなかったら金印を見ようなんて考えもしなかっただろうし、実際に博物館を訪れてみると、発掘された青銅器や石包丁など、金印の頃の様子、環境がリアルに自分の中で理解されるようになる。

だからこそ、仮に完全消化をしなくても分からないなりにも、学生時代にある程度の勉強をしておくことは大切なことだと痛感できる。

さて先日、卒塾生のF・Sさんが久しぶりに教室を訪ねてくれた。中学時代、1時間以上をかけ電車を乗り継いで通塾してくれた彼女は某私立高校の英語コースに進み、今春で高校3年になる。F・Sさんは歴史に興味があり、各地の城を訪ね歩くのが楽しみらしい。また、戦国武将の大谷吉継が好きだという独特な価値観を持っている。

新鎌ヶ谷駅に送迎しがてら途中の店で昼食をとることになった。「中学校時代は京都・奈良に興味がわかなくても、一定の年齢になると突然興味がわき始めて色々巡ってみたくなるんだよね。だから学生時代のうちにある程度勉強して、嘘でもいいから頭の片隅にでも置いておくと、ある時それが芽を吹き始めるんだよね」「田舎の山奥の神社や寺を歩いていると、突然こんもりした小山が見えてきて、何だろう?と思ったら、古墳だったりするんだよな」、「東日本に比べて西日本は史跡が多く、文化が濃い」「そういう歴史の積み重ねの上に我々が生きていることを実感できるのがこの日本なんだよね」、といった話題で2時間があっという間に経ってしまった。

英語・数学・国語・理科・社会、それぞれがあらゆる世界への入口となっている。大人は自信と確信をもって子供に勉強をさせる義務がある。