富岡八幡宮

深川で生まれ深川で育ち、二十歳まで20年間深川の空気を吸って生きてきた人間としては、今回の事件は本当にやるせない。
東京メトロ東西線でいうと、茅場町から門前仲町、木場、東陽町までのエリアは全て富岡八幡宮の氏子区域になっている。南北に見れば都営大江戸線の月島の手前から門前仲町、清澄白河にあたる。

鎌ケ谷に引っ越してきて感じたことは、町会という組織や地域のつながりがあまり強くないという点だったが、その点深川は街のルーツが江戸にさかのぼり、人間関係も根っこが生えたように密である。町会の権限も強く、町会長さんは誰々とか、そういった人事にも大きな関心が集まるようになっている。

それも全ては富岡八幡宮という大きなシンボルがあって、その氏子という意識が地域住民に強いため、町会の組織も単なる自治会ではなくて富岡八幡宮の祭り対策本部のような側面も強い。3年に一度の本祭りでは約50町会がそれぞれ神輿を出して、水を掛けながら「ワッショイ」と氏子区域全体を練り歩く。私が住んでいた平野1丁目も第16代・浅子周慶(神輿師)が手掛けた神輿を町会の誇りのようにして担いでいたように記憶している。(担ぎながら水を掛けられると、息が出来ない時があるのだ)

近年ではかつてほどの地縁は薄くなっているだろうが、それでも鎌ケ谷のような新しく拓かれた土地に比べれば土着的な縛りのようなものが東京の下町は強いとは思う。

さて、深川に住んでいた頃は毎月1日・15日・28日がお不動様の縁日ということで
永代寺、成田山深川不動尊、富岡八幡宮とお参りして、永代通りにずらっと並んだ縁日であんず飴やわたあめを眺めて、たまに伊勢屋でだんごを買って帰る、という定番のコースに親しんでいた。縁日も私が子供の頃に比べれば大分廃れてしまったが、今でも地元の人はそんな感じだと思う。

何かと八幡様、八幡様と、富岡八幡宮が日常生活の中にあって当たり前、というところで今回の事件は本当に胸が痛む。
茂永氏から父親の興永氏に宮司職が移った頃もあまり良い話は聞かなかったが、当事者にしか分からないことだってあるだろうし、外部の人間がとやかく言うことはそれこそ論語で孔子が戒めていることでもある。

「其(そ)の位(くらい)に在らざれば、其(そ)の政(まつりごと)を謀(はか)らず」~自分のよく知らないことについては黙っていなさい。知ったかぶりしていい加減で無責任な発言をしてはならない、と。

いずれにしても、地域の平穏と、富岡八幡宮の大勢の職員の方々の心の安寧を願わずにはいられない。