頭を、手を動かす。自分の足で前に進む

大学生の頃に大手塾で講師のアルバイトをしていた時の研修資料が出てきたので読み返してみた。そこには、授業料の高い上位コースと比較的リーズナブルな一般コースの指導法の違いが記されていて、上位コースでは「授業時間の大半を講義に費やせ、演習時間は設けるな」というものであった。

それは、上位コースで演習時間を多くとってしまうと、生徒にとっては講義を受けるという満足感が得られず一般コースとの差別化が出来にくくなるからとのこと。「家庭からのクレームの対象となることを忘れるな!!」という文言が付記してあった。いわゆる塾ビジネスな訳だが、現在の私の立場から言うと、講義だけで成果を上げることの出来る生徒はごくわずかでしかない、ということである。

つまり講義と演習の時間の配分は授業料の多寡で決められるべきでなく、総じて『生徒が自分自身で頭と鉛筆を動かすということに主軸を置いた指導でなければ意味が無い』ということが根本にあり、そうなるための各生徒に相応しい授業が提供されるべきだということなのだ。集団授業、個別授業、いずれであってもこの考え方が土台となる。

従って、学力上位かつ自分で積極的に手を動かすことの出来る生徒には映像配信のような自由形式で授業を受けさせてどんどん上へ引っ張っていけばよいし、それ以降の生徒には集団・個別に関わらず習熟度別に講義と演習の比率を考慮した指導法としていかないと、自分で鉛筆を動かせない生徒に講義をただ流し与えるだけでは全く効果を生まないどころか、自分が何をしなくても授業はしてくれるのだから、という甘えの温床となってしまう。

講義は花火が爆発して同心円状に火花が広がっていく、その中心の核のように最小限のもので充分であり、基本的には「生徒が頭を動かす」「生徒が手を動かす」「生徒が自分の足で前に進む」ということを強く意識した指導であるべきだということだ。そういう意味で、教える側は自分の行う講義に酔っている場合ではなく、生徒一人ひとりにとっての現場監督、ディレクターでなければならないのだ。