これまでの指導経験の中で見えてくるもの、それは親子は運命共同体だということ。当たり前と言ったら当たり前の話だが。
まず、親子は筆跡が似ている。神尾塾の場合は各生徒共にお母様と対応させて頂くことが多いが、息子、娘、それぞれ字が似ている。これに父の文字を併せたらほぼ100%と言えるだろう。当然だがこれだけでも、似ていない親子はいないな…とつくづく思う。
次に、親は子を、子は親を通して学ぶことの連続であること。基本的に子は親の真似・模倣をするから、親の習慣・考え方がほぼそのまま子の根底に形成されていく。一時期、子は親に反発し、子は親を反面教師のように感じることもあるが、それでも時が過ぎれば、基本的に同じような考え方を持つようになっていく。
また、親から子へ、という一方通行の子育てがあるだけではなく、子の素質・行動が親に気づくべきものを訴えかけるものであったりもする。例えば親が10のうち8を持っていて、2という何らかの欠けがあった場合、子はその2を気づかせるべく、子自身が全人格(素質・態度)を行使して親に気づかせるための状況を作り出していく。これは子の意図的なものではなく、一種の自然界の浄化作用と言えるかもしれない。
ということは全ての例に漏れず、親子は足してプラスマイナスゼロだと言えるような気がする。お互いに学びあうため、むしろ親が学ぶために子は生まれているような気がする。
これが祖父母から親へ、親から子へ、子から孫へ、家系代々繰り返されているのだ。ひとつの劇団のようなものでもある。親子とは生まれるべくして生まれてくる必然性で結ばれている。