◎人並でなくても平気なもの
ここに、曲がったままで真っ直ぐにならない薬指があるとする。痛むわけでもないし、仕事に差し支える訳でもない。それでも、これを治してくれる者があると聞けば、遥か遠国まででも人は出かけてゆくだろう。指が人並でないからだ。
指一本が人並でない場合は恥ずかしいと思うのに、心が人並でない場合は恥ずかしいとも思わない。これこそ、物事の軽重を知らぬというものだ。
◎大人と小人の区別
弟子の公都子(こうとし)が孟子に尋ねた。「同じ人間でいて、大人(君子)と小人との区別が生ずるのはなぜですか」「大なるもの、すなわち心に従えば大人(たいじん)になり、小なるもの、すなわち耳目に従えば小人(しょうじん)になる」
「では、同じ人間でいて、大なるものに従う人と、小なるものに従う人が出るのはなぜですか」「耳とか目とかには、分別する働きがないので、物の本当の姿を見ることが出来ない。対象に接すると、そちらにひきつけられるばかりだ。心には分別する働きがある。それがあるから、物の真の姿をつかめるのであって、それがなければ、真の姿はつかめない。心も耳目もともに天から与えられたものであるが、この二つのうち、大なるもの、つまり心で物を見るようにすれば、小なるもの、つまり耳目の迷いに引きずられることはない。それが出来る人が大人となるということだ。」
◎本性と天命
うまいものを食べたい、美しいものを見たい、すばらしい音楽を聞きたい、よい匂いをかぎたい、体を楽にしたい、これらの欲望は人間の本性には違いない。しかしそれが満たされるかどうかは天命である。だから君子は、欲望を人間の本性とは考えない。
親子の間の仁、君臣の間の義、主客の間の礼、賢者となるための智、天道に合致するための聖徳、これらが会得出来るかどうかは天命には違いない。しかし仁義智礼は人間の本性に根ざしたものである。だから君子は、それらを天命と決めつけず努力を続ける。
(出典:「中国の思想~孟子」今里禎・訳、徳間書店)